2021年4月25日・・・あなたはわたしを愛しますか
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」ヨハネ21:15(15-19)
大漁の奇蹟の再現と食卓の交わりを通して弟子たちを励ました主は、ご自身を否んでしまったペテロを愛をもって立ち直らせます。
《主自らシモン・ペテロに声をかけました》
ペテロは十二使徒の一員に選ばれ有力な弟子として主に仕えてきました。しかし十字架の予告を受け留められず、主から「今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います」と告げられた通りになりました。十字架の後、復活された主に、今回を含め4度主に会うことができました。彼は主を慕い、御許に一目散に近付き、主のことばに応じました。しかし彼は主が受け止め、赦して下さっているのを知りながら、また自分が心から主を慕っていることを覚えながら、自分の思いを主に告げることができませんでした。そんな彼に、主の方から声を掛けて下さったのです。
《主の問い掛けは、彼を赦し受け入れるためでした》
主は彼に「あなたはわたしを愛しますか」と問います。彼の告白を促すためでした。キリストは一度め二度めは「アガペー」(無私の愛)をもって自身を愛するかと問われ、三度めの問い掛けは彼の精一杯の告白に合わせて「友情の愛」(フィレオー)で愛するか、と問われました。ペテロは、あなたは私が友情の愛(フィレオー)で愛していることをご存じです、と3度とも答えました。一度めの問いで主は、彼の高ぶりを打ち砕くように「この人たち以上に愛しますか」と問いかけました。もはや彼は自分は優っているとは言えません。また三度の問い掛けは、彼が主を否んでしまった三度に呼応し、彼の誤ちを消し去りました。私たちの痛み、弱さ、愚かさを全てご存じの主は、私たちに愛と力に満ちたことばを語って下さいます。それによって私たちは、悔い改めて信じ、立ち上がる勇気をいただくのです。
《主の問い掛けは、主と愛によって結びついていると確信するためです》
主の問いに対するペテロの答えに注目しましょう。普通なら「はい。主よ」と答えるだけで十分でした(マタイ5:37)。しかし彼は「私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」とつけ加えました。私はあなたのように愛することは不可能です。それでも私の精一杯であなたを愛し慕っています、という意味でしょう。彼は主から三度も問われて降参し、一切を主に委ねました。主はペテロの答えに対して「わたしの羊を飼いなさい」と三度ご自身の働きに召しました。主に自分の弱さ罪深さや誤ちを知られることによりあいまいなところが正され、確信が深められるのです。こうしてペテロは自分を責めることを止め、主のことばに答えて立ち上がり、召しを全うします。これが、悔い改めの恵みです。キリストが内に生きて導き支えて下さるから(ガラテヤ2:20)、主の働きを担う事ができるのです。それもまた主の恵みです。ペテロが告白したように、主は全てをご存じで私たちを導いて下さいます。全てをご存じの主の導きにすべてを委ねて従いましょう。