2021年5月2日・・・主の恵みが共にありますように
主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。私の愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてとともにありますように。
1コリント16:23-24(19-24)
手紙の最後にパウロは、コリント教会へのあいさつを記します。混乱していた教会の回復を願って書き送ったこの手紙のあいさつを通して、祝福と一致を築く心遺いを見ましょう。
《主にある仲間が祈ってくれていることを伝えます(19-20)》
パウロは、海を隔てた小アジアの諸教会が、主の祝福があるよう祈っていると伝えました。コリント教会に多くの問題があるのを聞いていた諸教会は、見捨てるのではなく彼らのことを心にかけて、祈り続けていたのです。また、パウロの同労者であるアキラとプリスカ夫婦も、コリント教会のために祈り続けていました。パウロより先にコリントに移り住んでいた二人は、パウロを支え、共にコリント教会の設立のため労してきた同労者です。さらに多くの兄弟たちが、まだ見ぬコリント教会のために祈っていました。私たちの教会のためにも、世界中の先生方兄姉が、主の祝福と守りがあるようにと祈ってくれています。こうして主にある交わりの中で支えられているのです。
《自身も親愛と尊敬をもって祈っていると伝えます(21)》
パウロ自身も自分の手であいさつを記しました。数々の試練に耐えて伝道してきたパウロが弱気になってしまうほど、放縦の町コリントでの教会形成は困難でした(2:3-4)。しかし彼がコリントを後にしてから間もなく、彼らの人間的な面があらわれて教会は混乱していきます。ひいきの伝道者に染まって分裂、目新しい教えに染まって福音を軽んじ、外部の人がいぶかる程の不品行、賜物の競い合い、復活の否定など、多くの問題を引き起こしました。さらにパウロを見下し、せっかくの指導を拒みました。しかしパウロは、コリント教会に信頼と愛をもって祈り、関わり続けました。それは子どもを見捨てない主にある親の愛でした。パウロは、自分がどれだけ逆らい、主や教会を苦しめて来たかを自覚しており、そんな自分を主が愛し救って下さった事を感謝して仕えていたのです(1テモテ1:15-16)。
《彼らの祝福を祈り続け、彼らを愛し続けました(22-24)》
「主を愛さない者はみな、のろわれよ」。これは当時の聖徒たちの合言葉でした。御子を下さる程に愛して下さった主を拒んで愛さない者には、神の怒りが留まっています(エペソ2:3-5)。キリストを信じた者は、この真理を覚えてキリストから離れないように励まし合い、戒め合うのです。「主よ、来てください」も同じです。主が天国を完成するために来られます。その時、私たちはすべての苦難から解放され、救いが完成するのです(黙示21:3-4)。短かい祝祷を記した後の最後のことば「私の愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてとともにありますように」は、教会全員に対する深い愛の宣言と祈りです。主の愛に支えられて、パウロはなお彼らを愛し、信じ、期待していました。そうできるように主が無尽蔵の愛を注いておられたからです。キリストにある愛は、無数の問題にも勝利します(13:4-8a)。