2021年5月9日・・・産みの苦しみの希望
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。創世記3:15(15-21)
最初の母とされるエバの労苦と希望を通して、母となる労苦とそこに与えられた希望と祝福を確かめましょう。
《主は人類が罪を犯した時すぐに救いの計画を示された(:15)》
冒頭のみことばは「原福音」と呼ばれています。「福音」とは、「キリストの十字架と復活による救いの」良い知らせです。そして、キリストの救いは、旧約聖書において、様々の形であらかじめ知らされてきましたが、この箇所はその初めとして与えられました。「おまえ」とは蛇を用いて人類を罪に誘惑したサタンです。「敵意を置く」とは、人が悪魔や罪に取り込まれてしまわないよう神が隔てを置くことです。そして「彼」は女の子孫として生まれる救い主を指しています(ガラテヤ4:4)。蛇(サタン)は彼のかかとを打つ、それはキリストの十字架の死を指しています。それは致命傷とはなりません。しかし救い主はサタンに致命傷を与えます。キリストは復活によってサタンの武器である罪と死を滅ぼし完全に勝利されます(1ヨハネ3:8)。この約束の通りに、主は救い主を送るために備え、2000年前に救い主イエス・キリストを送って下さいました。
《女(エバ)と女の子孫に与えられた苦難と希望(:16)》
女は男の助け手、またいのちを生み出す者として造られましたが、その祝福が罪のためにかえって苦しみをもたらすことになりました。産みの苦しみと危険を負うことになりました。また助け手の賜物である(恋い慕う愛、相手を支える愛)が報いられない苦しみを負う事になりました。しかし主は、この苦しみを通して救いの希望をつないで行かれました。主が与えた苦しみは、私たちに自分の罪の状態を思い知らせ、本来の祝福を回復する(これが救いです)必要を思い起こさせます。そして苦しんで産み育てた子孫によって、将来の希望が受け継がれて行ったのです。聖書は告げます「ほほえみながら後の日・・・を待つ」女性のすばらしさ(箴言31:25,31)、恐れずに善を行なったサラ(1ペテロ3:6)、主の計画に信仰をもって自分を委ねた主の母マリア(ルカ1:38,45)に倣うように、と。主の約束を信じて歩むところに、女性また母としての幸いと栄光が約束されています。
《人(アダム)と人の子孫に与えられた苦難と希望(:17-21)》
人は労働の苦しみと死を負うことになりました。人の罪によって自然(被造世界)は人を苦しめるものとなりました(ローマ8:20-22)。人の体や心も、最初造られた時の祝された姿が損なわれ、心や体、ことばや行ないによって自分や他の人を苦しめるものとなってしまいました。また罪の結果、人は死ぬものとなりました(ローマ5:12)。しかしキリストは人の子孫として誕生し、ご自身を犠牲にすることによって、罪と死から私たちを救って下さったのです(ローマ5:17)。主は二人に動物の皮の衣を下さいました。それはやがてもたらされるキリストの贖いの予表でした。将来の希望は、新たないのちを生み出し育み信仰の内に養育する所にあります。そのために皆でいのちを生み育み、また自身も養育者として整えていただきましょう。