2021年5月30日・・・苦難の中で共に主に希望を置く
実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。
2コリント1:9(8-14)
前の箇所は、神はあわれみと慰めに富んだお方であり、どのような苦しみの時にも私たちを慰めて下さる、そして神から受ける慰めによってあらゆる苦しみの中にある人を慰めることができると、告げていました。次いで、パウロは、自分たちが受けた激しい試練の経験を証しし、それを理解して同じ確かな希望をもってほしいと勧めます。
《死を覚悟する程の苦難は、主だけに頼る者となるために与えられます(8-9)》
パウロたちは、アジアで死を覚悟する程の困難を経験しました(参:使徒14:19,1コリント15:32)。彼は「死刑の宣告を受けた思い」だったと証ししています。そして、この試練は自分に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだと告げます。もちろん主は、使命を成し遂げるまで守って下さいます。しかし死を通して主を証しするよう導かれることもあります。生きるのも死ぬのも主のみこころであり、主はどちらを通しても栄光を現わされます(ピリピ1:20-21)。遅かれ早かれ、私たちは死を迎えます。そして、いつどのように召されるにしても、主は信じた者を一人も失なうことなく、終りの日・・・によみがえらせて下さいます(ヨハネ6:39)。これこそ幸いであり望みです。
《祈り合うことを通して、主は危険から救い、希望の内に歩ませます(10-11)》
パウロは証しします。主が自分たちを救い出して下さったし、これからも救い出して下さると確信している。「死者をよみがえらせてくださった神」に希望を置いている、と(4:8)。そして、コリントの兄姉に、祈りによって協力してくれるよう要請しました。危険の中にいる仲間が主に守られ救い出されるために、私たちの祈りが用いられます。こうして、祈られて救われた者たち、祈った者たち、そしてその証しを聞く多くの人たちが、共に主に感謝するようになり、互いが堅い絆で結ばれるのです。私たちも、祈りの要請に応えて、熱心に祈り続けましょう、
《主から来る誠実と恵みによって歩むことを、聖徒は理解し合えます(12-14)》
パウロたちは、誇りとしたことは働きや成果ではなく、誠実に神の恵みによって行動してきたこと、だけと証しします。その純真や誠実さも、主の恵みの賜物だと主だけを誇りました(ヤコブ3:17)。もう一つ誇った事は、人間的なものに頼らず、ただ「神の恵みによって行動した」でした(1コリント15:10,ガラテヤ6:14)。この証しは、単純に語っているそのままであり、隠された秘儀のようなものは何もありません。またパウロたちはコリントの兄姉を主にあって誇りとしていると証しし、終りの日・・・には彼らも同様に、パウロたちを誇りとすることを確信していると伝えました。私たちは、聖書の教えや約束また兄姉の確信や希望が、理解できなかったり納得できない事があるでしょう。しかし、主を信じて歩み続ける中で、やがて納得し、終りの日には完全に一致できるように主が導いて下さいます(2テモテ2:7)。