2021年7月11日・・・喜びを共にする確信
あの手紙を書いたのは、私が訪れるときに、私に喜びをもたらすはずの人たちから、悲しみを受けることがないようにするためでした。私の喜びがあなたがたすべての喜びであると、私はあなたがたすべてについて確信しています。
2コリント2:3(1:23-2:4)
福音への信頼と教会の祝福のために、パウロが敢えて弁明するこの箇所を通して、私たちが「どうして信頼し合えるのか」を共に確かめましょう。
《伝道者は、教会の喜びのために協力するのが務めです(1:23-24)》
パウロは、伝えていた計画をひるがえしてコリントに行かないでいるのは、彼らへの「思いやり」からだと、敢えて誓って弁明します。教会がなお問題だらけの状態で、指導者パウロを迎えたら、困るのは彼らの方でした。ですからパウロは、教会が本来の祝された姿に回復するのを待って、喜んで再会できるよう配慮したのです。キリストがされたように、信仰を支配するのではなく、自由を与える中で祝福に進むよう協力するのが、奉仕者の働き方です。奉仕者としての目標は、彼らが主にあって喜べることです。使徒ペテロも教会の長老たちに、自分も同じ長老の一人だと証ししました(1ペテロ5:1)。キリストが私たちを信頼して、ご自身と福音を委ねて下さったように、奉仕者も主にあって信頼して共に仕えるのです。
《パウロは、悲しませる訪問を繰り返さないと決心しました(2:1-2)》
これまで彼は、教会に問題があったら急いて訪問して問題を早く解決できるよう働いてきました。しかしコリント教会を信頼しつつ厳しい指導をしたところ、悲しみと反発が返って来るだけでした。兄姉も傷付きましたが、パウロ自身も傷付きました。この経験を通してパウロは、教会が祝され、喜ぶ事が一番であることを学びました。自分の確信を一旦横に置いて、主の前に導きを祈り求め、熟考してから方針を定め、自分の計画を主に委ねるようにしました。私たちも、自分の願いや計画を主に委ね、主の導きに従って実行しましょう。(箴言16:3)「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ」。
《彼の教会への愛と信頼は揺ぎません(2:3-4)》
パウロは、訪問を繰り返すことを止めて手紙を書き送りました。それは「涙ながらに書いた」(:4)手紙でした。手紙の方が、互いにつらい顔を見なくて済み、感情で追い詰めてしまうことを避けられます。繰り返し内容を確かめ考て、読める利点もあります。パウロは関係がこじれていた中でも、主によって結ばれた自分たちが共に喜ぶ者であるとの確信を確かにしました。愛するからこそ心にかけており、愛するからこそ幸いを願い、きびしい事も言います。愛するからこそ相手の喜びを共に喜ぶことができます(1コリント13:4-7)。クリスチャンの愛・信頼・希望が尽きないのは、神の愛が絶えず注がれているからです。十字架の苦しみの中でも、主の愛は尽きませんでした。その尽きない愛が、聖霊を通して私たちに注がれています(ローマ5:5,1ヨハネ4:19)。時にはぶつかり傷付きます。しかし試練を通して、主は、私たちの愛と信頼の絆をかえって強めてくださいます。それが主の慰めです。