2021年7月18日・・・赦し合うキリスト者の証し
あなたがたは、むしろその人を赦し、慰めてあげなさい。......そこで私はあなたがたに、その人へのあなたがたの愛を確認することを勧めます。
2コリント2:7-8(5-11)
信頼を確認した後パウロは、主の愛によって赦し合うことによって、混乱を乗り越え、祝福を勝ち取れるように導きます。キリスト者の勝利の道を確かめましょう。
《悲しみをもたらした仲間を、追い詰めません(5-7)》
パウロは先に、涙ながらに手紙書いてコリントの兄姉を愛している事を伝えました(4節)。それを読んで教会は、霊の親であるパウロをどんなに悲しませてしまったかに気付き、混乱をもたらした兄姉を叱責していました。彼は自分は大丈夫、一番傷付いたのはあなた方だ、罰するのでなく赦し、慰めよ、と告げました。教会が混乱や誤ちに陥ることもありますが、悪気で故意に傷付けようとする人はいません。戒規などの処罰は必要ですが、あくまで悔い改めて交わりを回復するためです。そして愛をもってとりなし祈ることを忘れてはならないのです。
《愛を実践して主への従順を証明しましょう(8-9)》
自分を悲しませた相手に愛を実践しているか、確かめるようパウロは勧めました。主の教えは、「あなたの敵を愛し、あなたを迫害する者のために祈りなさい」です。主は十字架でその愛を実践し、私たちを赦して救って下さいました。そしてご自身の愛を私たちに注がれました。パウロは、その人への愛を確認するよう勧めました。敵を愛するかが、主への従順の試金石となります。主の命令は絶対です。そしてすべてのことにおいて従順であるかが主と人の前に、問われます。主に決める権威があり、実践させる力があると信じて、自分を委ねましょう。その時、私たちは主の偉大さを知るようになります。敵を愛された事がどんなに困難であるか、そしてその困難を主は実践されたばかりか、主は私たちに働いて行なわせて下さるからです。
《主にあって赦し合うことで、サタンの策略を封じるのです(10-11)》
パウロは「あなたがたが赦すなら、私もそうします」と告げました。赦せないでいることでは、赦しが完成しないからです。復讐しないだけではなく、和解し、互いに交わり、つまり一致して共に歩むことが、真の赦しです。キリストは「主の祈り」でこう教えられました。「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します」(マタイ6:12)。赦さないでいたら神の赦しを拒む事になります(マタイ6:15,18:35)。また、赦し合うのは、悪魔に機会を与えず、平和の内に歩むためです。さばきを主に委ねましょう。自分で復讐しようとするなら自分が怒りに焼かれます。主に委ねる時、主が正しくさばいて下さいます。それこそ最良の復讐です。時に主の赦しの大きさに、生温いと怒るかも知れません。しかし、豊かな赦しのために主ご自身がいのちを犠牲にされたのです。私たちが問われているのは、自分の思いや行動が正当かではなく、主に従順であるかです。これがキリスト者の判断規準です(参:5:17)。そして主に従おうとするたましいを主は慰め、いやし、強めて下さいます。これが主の証しです。