2021年8月8日・・・愛の実践で平安を得る_(石居義生)
子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。1ヨハネ3:18-19(1〜5章)イエス様の十字架の贖いが、私たちに平安をもたらす(イザヤ53章)とあります。しかし私たちに平安が得られず悩む人が多いのは何故でしょう。人の存在目的は、「神の栄光を現わし、神を喜ぶこと」であります。平安のない所に、喜びはありません。平安を得る道をヨハネの手紙第一から確認してゆきましょう。
《キリストと共に光の中を歩みましょう(1:1-2:2)》
ヨハネはクリスチャンである兄姉に、この手紙を書いた理由を「御父また御子イエスキリストとの交わりを持つようになるためです(1:3)」と述べます。イエス様の十字架での尊い犠牲により、それを信じる私たちには神との交わりは回復されているはずなのですが。神は光である(1:5)とヨハネは言いますが、事実イエス様は全く闇のない、正しいことの完全な基準、真理の源です。私たちの中には義人はひとりもおりませんから(ロマ3:10)、知って、或は知らずに犯した罪のために闇の中を歩くことがあります。私たちが毎日・・・の祈りとみ言葉に接することで、光の神と交わりを固く保つなら真理の道からそれることはないのです。義の規準のイエス様との交わりを保つのですから、私たちの罪は影となって照らし出されます。明らかにされた罪は、神に告白し赦しを乞いましょう。イエス様が御父の前でとりなしをしてくださいます(2:1)。こうして光の中を歩むことにより罪をきよめられながら歩むのです。