2021年10月3日・・・聖書が与える希望
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:5ほか
「期待が長引くと、心は病む。望みがかなうことは、いのちの木」(箴言13:12)。私たちが経験している状況は、このみことばが言い当てています。失望せず元気を失なわないで歩み続けるために、聖書が約束している希望を共に確かめましょう。
《与えられている良い事を見いだす希望》
困難の中にあっても、喜び、平安、休みや幸いを見つけると、私たちは元気を得ることができます。また、主は、絶えず私たちに恵みを注いで下さいます(マタイ5:45)。主を求める時に、主はそれを見出すよう導いてくださいます(エレミヤ33:3)。十字架は神の愛の証明です。それは、数千年以前から、預言され、その一つ一つの預言が、キリストによって成就しました。主は、救い主イエス・キリストを通して、私たちへの愛を明らかにしておられます(ローマ5:6-8)。主に愛されている事から、すべての感謝、喜び、平安、希望のしるしが次々に湧き出てきます。パウロは投獄された中でも、喜びにあふれて、喜びなさいと励ますことができました。主キリストのいのちの喜びと平安が、絶えず心の内からあふれていたからです(ピリピ1:3-5)。
《将来に楽しみが待っている希望》
今は苦しくとも、試練が終わる時が必ず来るという確信があれば、私たちは希望を持ち続けられます。主は、ご計画をもって私たちを導いておられ、各自に幸いな歩みを用意してくださいました(エペソ2:10)。主の用意された道を歩む時、主に守られ、救いの完成に至ります(1ペテロ1:5)。神の備えた道は、自由な道です。各自の思いや働きの中で、志を定め実行するのを、主は応援し導いてくださいます。人生には、困難や試練もあります。しかしそれを通して、私たちは強くまた純真な者へと成長し、完成のゴールに向かって整えられてゆくのです(ピリピ2:13-16)。今の苦しみは、後の喜びにつながると聖書は約束しています。主と共に歩む時、主は私たちを試練の中でも喜びに満たして下さいます(ローマ5:2-4)。また困難を通して、私たちは忍耐を学び、磨かれ、願いが明確にされて実現していくのです。ですからこう証しできます。(ローマ8:18)「今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます」。ゴールは、神の栄光です。
《労苦が無駄でないと確信できる希望》
主は私たちが、試練に挫折しないよう守って下さいます。先に同じような試練に会った聖徒たちが守られたように、主は私たちも守ってくださいます。神は「耐えられない試練にあわせ」ず、「試練と共に脱出の道を」備えておられます(1コリント10:13)。キリストも、多くの苦しみを通して私たちの苦しみを知り、罪と死に勝利された力をもって、私たちを強めてくださいます。そして、試練の中でキリストの慰めをいただき、その慰めをもって苦しみの中にある人を慰めることができるようにされます(2コリント1:4-5)。主は、あらゆる事を益と変えて下さいます(ローマ8:28)。試練を通して、私たちはきよめられ、幸いな義の実を結びます(ヘブル12:11)。「きよくなる」とは、神との一致がより強固になるということです。労苦を共に長年歩んできた人々の、絆が強くなるのと同じです。こうして労苦は無駄にならず、益となります(1コリント15:58)。