2021年10月10日・・・キリストが支えて下さる
私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。第二コリント4:8(8-15)パウロは自分たちの主にある労苦が、多くの人を栄光に導くことになる恵みであることを確信し、証ししています。私たちも試練の中で喜び、希望をもって立ち向かえるために、この箇所を心に刻みましょう。
《主は苦難の中でも私たちを守ってくださいます(8-9)》
パウロたちは多くの苦難の中で守られました。主は常に共にいて守って下さったからです(マタイ28:20)。彼を裏切り者として殺そうとするユダヤ人の手から守られ脱出できました。伝道旅行の至る所で、迫害や暴動、投獄される中でも守られました。恐れに囚われた時主の語りかけで勇気を与えられました。その後も様々の苦難の中で支えられてゆきます。同様に主は、私たちをも守ってくださいます。「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」(1コリント10:13)。《主にあって死ぬことでキリストのいのちが働きます(10-14)》
イエスの死を経験するが、それは「イエスのいのちが私たちの身に現れるため」だと彼は証しします。様々な試練によって「自分が」という肉の性質を砕かれて、ただ主に頼ることを学んだのです。自分に死なないと、肉の思いがイエス様の働きをじゃましてしまいます。しかし砕かれて自分に死んだ聖徒を通して、キリストがご自身のいのちを伝えてくださいます。キリストは私たちの罪のために死なれ、神はキリストをよみがえらせました。キリストの死と復活が信じる者に働きます。また救いが完成する天国において、この神が、あなたがたをも私たちをもイエスと共に朽ちないからだによみがえらせて、いっしょに神の前に立たせてくださいます。それは、私たちが待ち望む幸いの時です。主のねぎらいと賞賛の笑顔を見たら、私たちの労苦はその時に吹き飛びます(コロサイ1:22)。
《恵みと感謝に満たされて主の栄光が現われます(15)》
パウロたちは「すべてのことは、あなたがたのため」だと証ししました。(1)恵みがますます多くの人々に及ぶためです。キリストはすべての人のために死なれ、神はすべての人の救いを願っておられます(1テモテ2:6、2テモテ2:4)。そのために彼らは自分を献げて労苦していました。
(2)人々に感謝が満ちあふれるためです。救いを得ることが、どれほど大きな感謝となるかを知っていたので、伝えようと労苦しました。
(3)神の栄光が現れるようになるためです。神の栄光とは、神と共に喜び、感謝し、讃え合うことです。神の下さった恵みの数々を覚えて神に賛辞をささげます。神も私たちを喜び、私たちをほめて下さいます。
天国の喜びは、難工事の完成の喜びにも優ります。その時、私たちは労苦して良かったと主と共に喜びます。そのような人生を共に歩みましょう。