2021年10月24日・・・たましいの永遠の住まい
たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
第二コリント5:1(1-10)
パウロは、私たちは落胆しない、外なる人は衰えても内なる人は日・・・々新たにされている、と証ししました。では衰えの先にある死に臨む時に、私たちはどのようにして希望を持ち続けることができるのでしょうか。主の約束を共に確かめましょう。
《永遠の住まいが用意されています(1-3)》
ここで人の状態を「住まい」と表現します。地上の住まいを「脱ぐ」、神から与えられる永遠の住まいを「着る」、これは建物の住まいのことでなく、たましいを宿すからだを指しています。地上の幕屋(肉体)は朽ちてしまい、もう住めず、脱がなくてはなりません。「裸」という表現は、何も覆うもの守るものがないという意味です。しかし、キリストを信じた者は、死後のたましいの住まいが備えられていることを知っています。1コリント15章(20-22,42-44,49)で詳しく教えている通りです。
《永遠のいのちを慕い求めているから天国を待ち望むのです(4-6)》
罪が支配している地上に置かれ、弱く罪深い精神やからだをかかえて歩むのは、苦しいことです。主イエス様もその苦しさを吐露されました(マタイ17:17)。しかしクリスチャンが天国を切望してうめいているのは、「地上の幕屋を脱ぎたい」つまり、この世に生きるのが苦しいから早く終わりにしたい、と考えるからではありません。むしろ「天からの住まいを着たい」つまり、救いが完成しキリストに似た栄光の姿に変えられたいからです。この希望は確かです。神が備え、保証として聖霊を下さったからです。人は、決して罪と死を克服できません。しかし、キリストが聖書の約束の通りに来られ、私たちの罪が赦される道を、ご自身の十字架の恵みによって開いてくださいました(ヨハネ14:6)。そしてこの救いの保証として聖霊を下さいました(エペソ1:13-14)。パウロは証しします。地上に生かされていることもすばらしい、しかし天に生きることは「もっとすばらしい」と(ピリピ1:21-24)。
《信仰によって歩んでいるから心強いのです(7-10)》
地上のものは移ろい朽ち果てますが、みことばは天地が滅びても堅く立ち続けます。そして主を信じる「私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます」(7)。人間は弱く不真実であっても、キリストが強く真実なので、キリストを信じる者は、真理の内に守られています。ヒナが弱くとも親鳥の翼の陰に守られ、弱い羊が羊飼いのもとにいて安全なのと同じように、キリストを信じる者は主に守られて安心で希望があります。罪と不安がある地上でも主に守られて大丈夫ですが、主のもとに迎えられて共に住むほうが良いのです。聖徒が心から願うのはただ一つ「主に喜ばれること」です。主の喜ばれることは、幼子のように、主を慕い、交わり、共に歩み、助けていただく・・・だけです。そのような私たちを、主は喜び報いてくださいます(2テモテ4:7-8)。第一に必要なことは、主イエス・キリストを信じること、そして主に喜ばれることを求めて歩むことです。