2021年11月14日・・・神と和解させていただきなさい
こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。2コリント5:20(17-21)
前の箇所(17-19節)は告げています。信じるなら、キリストに結ばれ新しく造られ、新しい人格と歩みをいただいた、と。神はキリストによって私たちをご自身と和解させ、この和解をまだ受けていない方々に広げる働きを委ねてくださったと。この主の恵みに、私たちはどのように応えれば良いでしょうか。
《神と和解させていただきなさい(21b)》
聖書は既に信じた教会の各自に、なお「神と和解させていただきなさい」と告げます。既に解決した罪や誤ちを部分的に抱え込むことをやめ、一切を赦し聖めて下さるキリストに委ねなさい、と勧めているのです。救われたけれど、罪や誤ちを犯してしまったという時に、「自分は不完全だから」と放置してはなりません。また「もうだめだ」とクリスチャンとして歩むことを止めてしまってもいけません。キリストのもとに行き告白して改めて赦されきよめていただくことです(1ヨハネ1:8-2:2)。
《神は、キリストを私たちのために「罪とされた」ことを覚えましょう(21a)》
キリストには罪がありません。もちろん、十字架にかけられるような罪は犯していません(ヨハネ18:38,19:6)。それどころかキリストは、罪が全くないお方、完全に正しくきよいお方です(1ヨハネ1:8,3:5)。しかし神は「私たちのためにキリストを罪とされ」たと告げます。これは絶対的な宣言です。個々の罪でなく「罪の根源であり罪そのもの」、初まりから、現在、この先ずっとのすべての罪も、そこに含まれています。キリストは一切の罪そのものとなって、十字架でさばきを受け、罪の結果私たちにもたらされる死を受けられました。神との断絶である「霊的死」(マタイ27:46)。肉体が滅びてたましいが離れる「肉体の死」(ヨハネ19:30)。死後さばかれて御前から完全に断ち切られ、よみに落とされる「永遠の死」。これら私たちすべてが負うべき罪と罪のさばきの一切をキリストは負われました(ローマ6:23)。ですからキリストを信じる者は、一切の罪から解放されます。
《私たちがこの方にあって神の義となるためです(21b)》
キリストが罪とされた(十字架で死なれた)のは、私たちがキリストにあって「神の義となるため」です。ヨハネ1章に出てくる「神とともにある、いのち、光、栄光、恵み、まこと、愛」と記されたキリストの存在と性質が、神の義であるキリストを証ししています。私たちが神の義となるとは、キリストの赦しに加えてキリストの義をいただき、価値のない「土の器」である私たちが、キリストの義を体現する者とされることです(4:7)。誇るべき方はキリストだけです。まだ未完成ですが、神が成長させ完成させてくださいます。そのために、私たちも恵みの中で、忍耐し、励み続けるのです(ピリピ2:13-14)。