2021年12月12日・・・寛容と潔癖の両立
私は子どもたちに語るように言います。私たちと同じように、あなたがたも心を広くしてください。不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。2コリント6:13-14(11-18)
章の前半でパウロは、恵みを無駄に受けないためにまず、主が立てた伝道者たちを受け入れてほしい、と訴えました。彼はさらに、二つの勧めを伝えます。
《主にある兄姉を受け入れる寛容、「心を広くする」(11-13)》
パウロは「コリントの人たち」と親しく呼び掛けて、自分たちと同じように「心を広くしてください」と勧めます。パウロは自分の思いや経験や弱さを、包み隠すことなく正直に話してきました。パウロたちが心を開いても、交わりが仲々回復しないのは、コリントの兄姉が心を狭めた(心のガードを堅くしていた)ためでした。パウロは、自分に反対する人たちに対して、「あなたがたも心を開いて何でも話してほしい」と、親が子どもに対するようにやさしく訴えます。主は、既に十字架ですべての罪を贖って下さいました(1ヨハネ1:8-9)。そしてこの十字架の赦しを知っている聖徒たちは互いに赦し合うことができます。表立ってぶつからなくても心を閉ざしていないことはないでしょうか。生温さの中で主を拒み続けていたラオディキアの教会に、主は、戸をたたいて迎え入れるよう招かれました(黙示2:20-21)。感染予防も必要ですが、霊的には何の障害もありません。キリストの贖いによる赦しととりなしがあるので、主を信じる者は必ず和解できます。
《汚れを退ける勇気、「不信者とくびきをともにしない」(14-18)》
同時に、受け入れるべき相手と範囲を守ることが、信仰や祝された関係を築くために必要です。キリストを信じる人と、キリストを信じない人、一方は神に近付き他方は神から離れようとし、一方は神のため他方は自分のために生きているからです。働き、楽しみ、生活においてはある程度合わせることはできても、信仰においては、大事なことや目標が正反対です。妥協することで、永遠に至る信仰の祝福を危険にさらしてはなりません。そのために「彼らの中から出て行く」よう聖書は命じています。主が拒むものから遠ざかることが、主に受け入れられるために必要なのです。パウロは、信者には、どんなに非難されようとも心を開いて受け入れてきました。しかし信じようとしない人たちの神に敵対する考えや習慣とは、一線を画していました。この命令は具体的には、結婚や友人などの大切な事柄において、信仰生活を損う相手と関係を結んではならない、ということです。ただし既に結んだ結婚関係について、未信者の相手がいっしょに歩むことを同意している場合には、そのままでいるように命じています(1コリント7:12-15)。
現在でもこの原則は変わっていません。教会の中ではどんなに意見が違っても受け入れる寛容さを持つと同時に、汚れた教えや生活に対しては明確にノーといえる勇気を持ちましょう。