2021年12月26日・・・待ち望む者への報い
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。ルカ2:25(25-35)
救い主が誕生して8日・・・目、両親は幼子を神殿に伴い、律法の規定に従って「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」を献げました。シメオンとアンナは、この幼子こそ、皆が待ち望んでいた約束の救い主であると人々に証ししました。
《主の約束を信じ続けたシメオン(:25-26)》
国はローマ支配の重荷と腐敗の困難の中にありましたが、彼はイスラエルの贖いの約束を信じ続けました。神は彼に「主のキリストを見るまでは、決して死なない」と約束されました。聖霊が神殿に行くよう導き、ちょうどその時、幼子を連れた両親がいたのです。聖霊は、人々が顧みない貧しい両親の幼子こそ約束の救い主であることを彼に示しました。彼は、救い主を抱いて賛美し、この幼子はすべての民の救いだと預言できました。また両親を祝福し、幼子についての様々のことを語りました。羊飼いの知らせの時もそうでしたが、両親は驚きました。特に、救い主の受難によってイスラエルが試されること、その時、母マリアの心は刺し貫かれる痛みを負うこともです。それを覚悟し、耐えることができるためでした。《祈りと断食をもって主に仕え続けたアンナ》
またアシェル族ペヌエルの娘アンナは、若くして夫を失い独り身で過ごしてきました。神殿に住んでいたということは、子どもに恵まれなかったか、先立たれ、身寄りがなかったため思われます。彼女は84歳、困難な境遇にあっても、祈りと断食をもって主に仕え続けていました。彼女は、人々の苦しみを自分の苦しみとして、主に祈っていたのです。主に仕える働きの第一は祈りです。彼女の祈りによって、どれほど多くの人々が、秘かに助けられたでしょう。シメオンが救い主を抱いて預言したことを、神殿で仕えていた彼女も知りました。そしてこの出来事を、イスラエルの救いを待ち望む「すべて」の人たちに語ることができました。長年にわたる忠実な奉仕が、このあかしの時に用いられたのです。《聖書を通して今も語っている二人の祝福》
シメオンもアンナも、救い主に会うことができたのは、あと少しで生涯が終わろうとする時でした。二人は、主が救い主として働き始める前に死を迎えたでしょう。しかし二人の証しは、聖書と共にいつまでも生き続けています。私たちは、まだ主のお役にたっていないと思うかも知れません。しかしこの二人のように忠実に仕え続ける時、たとえ目立たない証しでも後の世代のために残すことができます。年配になり出かけることも働くことも困難になるでしょう。しかし「信じて待ち望むこと」「祈ること」そして「証しすること」は、生かされている限り続けることができます。その働きは無駄になりません(1コリント15:57-58)。`