2022年1月2日・・・主にある確信と喜び
愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。2コリント7:1(1-4)
6章の主の約束を受けて7章冒頭で、共に完成することを確信し喜びに溢れるよう勧めています。喜びに満ちた新年のために、この確信を確かにしましょう。
《第一に、主の約束に立つことで聖さを完成できます》
汚れたものから離れるなら神の子とされた祝福を受けると、主は約束されました(6:18)。きよさとは、主と共にあり主と一致していることです。ですから主の嫌われるものから離れ、主に喜ばれることを求めるのです。肉の汚れ、主を信じない世との関わりを避け、肉の欲から離れ、主を第一に生活します。霊の汚れ、福音を否定する偽りの教えや偶像礼拝との関わりから離れ、主に自分をささげて歩みます。そして、神を恐れることを学んでゆきます。救いをいただき、救いの完成を目指し、主のために労苦すること、これらはすべて主の恵みであると同時に、私たちが励むことです(1コリント15:10、ピリピ2:12-14)。「クリスチャンの生活は自力的他力であり他力的自力である」とある牧師は言いました。《第二に、一致をもって共に励みましょう(2-3)》
パウロはコリントの兄姉に、聖書と自分たち伝道者に心を開いてほしいと勧めました。そして彼は証しします。あなたがたを信頼して真実を尽くしてきた、あなたがたを責めているのではない、共に主にあって罪に死に、主と共に生きる者とされた同志であると信じている、と。主の器にも欠点があります。しかし、だからと言ってさばく事は、主に逆らうこととなってしまいます。さばきを主に委ね、善をもって復讐するのです。自分で復讐するなら、自らが主の怒りを受けてしまうことになります。兄弟姉妹の関わりにおいてもです。パウロの弁明は、自分を正当化するためではなく、主にあって一致し、共に祝福の内に生きるためでした。《第三に、主にある仲間を信頼する者は、慰めと喜びに満たされます(4)》
パウロは、コリントの兄姉はすばらしい、信頼に価すると確信し、彼らを自分の誇りとしていると証ししました。人間的にすばらしいと言っているのではありません。パウロ自身もそうであったように、主が愛し、関わり、創り変えて、ご自身に似た聖く、信頼できる者に変えてくださったからです。主がいつも共にいて、その人の保証人となっておられます。そして、その確信の通り、一時期ひどい状態にあったコリントの教会は、実際、悔い改め立ち直り始めたのです。主にある信頼は、誤りの道に気付かせ、認めさせ、悔い改めて立ち上がる励ましを与えます。そして彼は、コリントの教会が完全に立ち直って、すばらしい教会へと完成すると確信して、喜んでいたのです。私たちも、パウロのように、自分や兄姉を主にあって信頼して励みましょう。その時、私たちは主にあって成長し、主と一致を築き、喜びに満たされます。
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