2022年1月23日・・・目を開かれ、赦しを受けよ
わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。
それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』使徒の働き26:17-18(8-18)
これは主イエス・キリストがパウロを宣教師として召したときのことばです。弟子たち(教会)が伝えるべき救いのメッセージの核心が、このことばに凝縮されています。ここから、キリストの救いがどのようなものかを確かめましょう。
《第一に、目が開かれて神に立ち返ることです》
神はご自身の存在と聖さをあらゆるものを通して示していますが、人は罪によって盲目とされているために見ることができません。そこで神は人々に働きかけました。イスラエル民族を興し聖書を与え、預言の通りに救い主を送られました。主イエス様は預言の通りに生まれつき盲目の人を見えるようにしましたが、ユダヤ人はこの奇蹟までも認めません(ヨハネ9:41)。パリサイ人であったパウロは、霊的盲目の者の典型でした。教会を根絶しようとダマスコに向う途中の彼に、主イエス様が現われ、自身が本当に救い主であり神であることに気付かせました。その時彼は盲目になりましたが、主は彼の目をも開くだけでなく、彼を赦し、救い、宣教者へと任命しました。神の光に照らされて、人は神に向き直ります。これが悔い改めです。
《第二に、信仰により罪の赦しを受けることです》
立ち返るだけでなく「信仰によって、彼らが罪の赦しを得」る、これが神の救いの使信の第二です。救いは「何かをする」ことでなく、「神から受ける」ことです。信じることは救いを受けるために不可欠ですが、重要なのは信仰によって「救いの恵みを受け取った」という事実なのです。信じた時に何を受けるのでしょうか、「罪の赦し」です。神は私たちを自身の御子を下さる程に愛しておられます。しかし罪がそれを受けられないようにしています。罪の赦しは、十字架の犠牲によってもたらされます(ローマ3:23-24,6:23)。罪の赦しは、信仰によって与えられます(エペソ2:8)。一度与えられた赦しは失なわれません(ローマ8:1)。そして救われたからこそ、行ないや努力が生きてくるのです。
《第三に、神の国を相続することです》
目を開かれ、神に立ち返り、罪の赦しを与えられた後、恵みの二番目の御業が続きます。「相続にあずかる」ことです。キリストを信じる信仰を通して、人は、きよい者(神と共にある)者とされました。神はその人を受け入れ、あらゆる祝福と回復を与えます。新しく生まれ、永遠のいのちをいただきます(2コリント5:17)。神の子どもとされ、キリストを頭とする神の家族(教会)に加えられます(ヨハネ1:12,エペソ1:22)。こうして神の国を、キリストとの共同相続者として自分のものとして受けるのです(ローマ8:17)。天国はまだ完成していませんが、その恵み(神が常に共におられ、神の守りと最善の導きの中に生きる、祈りが聞かれる)が信じた時から与えられています。これらはすべて主の恵みです(ローマ8:31-32)。