2022年1月30日・・・恵みのわざである支援
あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。2コリント8:7(1-7)
コリント教会が立ち直った事を喜ぶパウロは、教会が祝福されるための勧めを書き送ります。第一の勧めは、愛のわざ、エルサレム教会への支援に諸教会と共に尽力することでした。愛し合い、支え合うことが、どんなに大きな祝福であるかを共に確かめましょう。
《第一に、この働きにより惜しみなく施す富が与えられます(1-2)》
迫害と飢饉の困難にあったユダヤ諸教会への支援の呼び掛けに対し、マケドニアの諸教会は、すばらしい模範となりました。迫害の困難の中にあっても、自分たち異邦人のために働き人を派遣し支えてくれたエルサレム教会の犠牲と愛に感謝し、彼らへの愛を表したいと、心より願って、力以上にささげました。神は愛であり、愛は神から出ています。神はこの愛によって私たちを愛し、私たちを罪から救うために御子さえ犠牲とされました。主の愛の犠牲を覚える時に、聖徒は「受けるより与える方が幸いである」(使徒20:35)との主の教えに倣って、愛をもって与え合い支え合うのです。
《第二に、力を超えて支え合う献身と信頼が与えられます(3-5)》
マケドニアの諸教会は、始まって間もなくユダヤ人たちの迫害に遭い、十分な指導を受けられず、今も迫害の困難の中にありました。しかし彼らは、この支援の働きのため共に重荷を負いたいと志願し、「力に応じ」、また「力以上に」犠牲を払って、早々と支援金や物資を携えてきました。横並びや自己満足ではなく、主の愛を証しさせて下さるよう祈り実行した時、主がみこころにかなう願いに答えて下さったのです(1ヨハネ5:14)。また自分を献げる「献身から」出た働きは、恐れや結果に囚われずに全力を尽くし、感謝できます。また、その奉仕を通して主と同労者への深い信頼を育みます。彼らはこの信頼をもって、献げた一切をパウロたちに委ねました。一時着服を疑ったコリント教会とは大違いです。ささげ物や奉仕は、主からの豊かな報いが約束されています(9:12)。しかし、第一の目的は、信仰と献身のあらわれとして主に自分を献げることです。
《第三に、熱心な愛により恵みのわざにあふれるようにされます(6-7)》
コリント教会は、この奉仕について、一早く賛同して始めた教会でしたが、様々の混乱のために中断していました。パウロは、一度始めた良い働きを、成し遂げるよう、テトスを通して勧めました。教会に混乱や問題があったとしても、主が下さった救いと、救いの恵みは失なわれていません。聖徒は既に「信仰、ことば、知識、熱心、愛」に富む者とされています。人から出たものではなく、無尽蔵の源である神が、満たして下さるものだからです。問題が起こって、一事的に主の恵みを生かすことができなくても、信仰と一致の回復と共に、主の恵みと力が満ちてきます。ですからパウロは、「この恵みのわざにもあふれるようになってください」と勧めました。豊かな愛と支え合いは、豊かな主の愛の証しです。