2022年2月6日・・・共に豊かにされる支援
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。
2コリント8:9(8-15)
支援は、犠牲を払って助けることであると同時に、共に豊かにされる道だと教えています。それを主キリスト御自身が証明されました。
《第一に、支援はキリストの愛に生かされていることを証明します(8-9)》
支援は、神への感謝と主にある愛によって、自発的に献げるものです。それは、キリストの恵みを知っている者だからできることです。冒頭の聖句にあるように、キリストは私たちを愛して、神のあり方を捨て、ご自分を空しくし、しもべの姿を取って来られ、十字架の死にまで、父の命令によって従われました(ピリピ2:6-11)。キリストが差し出した恵みによって豊かにされているのだから、それを同心の友、しかも私たちのために犠牲を払ってくれた教会を支えるために、犠牲を払おうではないか?、とパウロたちは呼びかけたのです。それは、キリストの貧しさ(私たちのために自ら払われた犠牲の恵み)によって、豊かにされるためです。与える事によって、主はその犠牲に報いてくださいます(箴言19:17)。
《第二に、喜んでささげる時、ささげ物は神に受け入られます(10-12)》
パウロは、コリントの兄姉に確認します。彼らは、献金の実行も志を持つことも、「他に先んじ」昨年から始めていました。彼は、中断していたこの良い働きを「今、やり遂げなさ喜んでしようと思ったとおりに、持っているものでやり遂げなさい」と勧めます。主は支援に必要な物資を既に備えておられました。「一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです」(9:7)。神が、まだ持たないものを与えて下さるとの信仰に立って、犠牲を払うこともあります。しかし、まず地道に信仰の土台を固めて行けば良いのです。神は、私たちの必要を満たして下さり、主に信頼し喜んで献げる奉仕を祝福して下さいます。
《第三に、支え合うことで互いに平等にされます(13-15)》
受ける側は働かなくて得、支援する側は労苦して得た報酬を失うのは、不公平だという意見もあります。しかし聖書は、「むしろ平等になるように図っている」と告げます。主は「からだ」に例えて、社会や組織のあり方について教えられました。見栄えが良くても悪くとも、みな必要な器官です。(1コリント12:26)「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです」。主は、イスラエルの民が荒野を旅して約束の地に向かう時、天からの食物を降らせて民を養いました。その時、主は平等を計り、「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」(:15)のです。強い者が高ぶり、弱い者が不満を抱えて平和や平等を築けないのは、人が罪に支配されているからです。そしてこの罪を解決するために救い主は来られ、私たちの罪のために十字架にかかり、よみがえって罪の解決を与えて下さいました。