2022年2月13日・・・神を仰ぎ見て救われよ
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。イザヤ45:22(20-25)
聖書が約束する救いは、罪を赦され、永遠のいのちをいただき、神の子どもとされ、天国を相続することです。この救いを頂くためにどうしたら良いか、神ははっきりと告げます、「わたしを仰ぎ見て救われよ」と。
《第一に、主は全ての民に「わたしを仰ぎ見て救われよ」と告げました(22)》
当時イスラエルは、神の民とされていたのに不信仰の中に歩んでいました。主は、悔い改めない彼らに、滅亡と捕囚を警告します。また彼らが苦難の中で主に立ち返り、回復されることをも(申命記30:1-4)約束しました。主は、イスラエルの回復のために用いる王の名「キュロス」までも予告しています(44:28,45:1)。130年後、この預言の通りイスラエルはバビロンに捕囚となり、その70年後に主が告げた名のペルシア王「キュロス」により戻されたのです。この章で主は、ご自身が唯一の全能の神、創造者であり、「正義の神、救い主」であると宣言します。そしてこれまで信じてきた偽りの神々(偶像)にしがみつく者たちは恥入り、こうしてイスラエルは豊かに回復する、と(15-21)告げました。
《第二に、主は、人となって来る御子の十字架をもってご自身を示します》
ユダヤ人たちは捕囚から解放されましたが弱小国でした。彼らは、救い主が武力ではなく赦しと愛によって勝利されることを知りませんでした(53:1)。しかし聖書が預言する通り、救い主が誕生し、この方は全人類の罪のために死んで、罪の赦しをもたらしました。すべての人が「主を仰ぎ見」て救われることができるのは、キリストの十字架によってです。「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」(53:6)。罪とは、悪い性質や行い以前に、神との良い関係が損われてしまっていることです。そして救いのために第一に必要なのは、壊れた「神との関係」の回復です。このことは、罪に支配された人間がどんなに努力し善行を重ねても不可能です。ただキリストが、それを成し遂げてくださいました。十字架は赦しのための全き犠牲であり、この方を信じるなら、誰でも罪を赦されます。
《第三に、主が求めておられることは、ただ、主を仰ぎ見ることです(22)》
主イエス様は、神の国を求めるニコデモに、こう告げました。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません」と(ヨハネ3:14)。イスラエルの民が、再び「神とモーセにさからってつぶやいた」時、神は怒って毒蛇を民に送りました。噛まれた者は死ぬばかりです。しかし主はモーセに、青銅の蛇を造らせ「それを仰ぎ見れば生き」たのです。同様に、全人類の罪を負って十字架で死なれた主を見上げる時に、すべての人が罪から救われるのです。人は皆、罪に死ぬばかりの者です(エペソ2:1-2)。努力して自分を変え、正しい生活や働きをめざす前に、まず主を仰ぎ見て救わる必要があります。十字架の主こそ、この方を仰ぎ見て救われると全世界に示されたしるしです。目を覚して、十字架の主を仰ぎ見、まことの救いをいただきましょう。