2022年2月27日・・・愛をいただき、愛を与える恵み
一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。2コリント9:7(1-7)パウロはこの9章の冒頭で、教会で私たちが献げる、また支え合うことの意味と、それがもたらす祝福を教えています。
《第一に、支援は互いに支え合い、励まし合うことです(1-2)》
8章でパウロが書き送った、支援や献金の意味や心構えを再確認しましょう。これは神への奉仕です(8:4)、神に自分をささげる(=献身)です(8:5)、恵みと愛のわざです(8:6-7)、互いの信頼と支え合いです(8:13-14)。この支援の奉仕のために最初に立ち上がったのはコリント教会でした(:2,8:10)。マケドニアの諸教会は、コリント教会の熱心によって奮い立って、困難の中にあったこれらの教会は、惜しみなく豊かに施しました(8:1-2)。問題が生じて支援の働きが中断していたコリントの教会でしたが、自分たちによって奮い立ったマケドニアの諸教会の証しを聞いて、再び立ち上がろうとしていました。教会も、兄姉各自も、順境と逆境を経験します。弱っている時は助けていただき、元気な時は助ける、その支え合いの中で、私たちは立ってゆきます(伝道4:9-10)。
《第二に、支援や献金は「祝福の贈り物」です(3-5)》
パウロは、使者を送る前に、支援の準備ができているように助言を送りました。率先して諸教会を奮起させたコリント教会が停滞したままで、みなをがっかりさせないための配慮です。彼は支援が「祝福の贈り物」だと二度強調しています。支援する者たちは、主が支援する力を下さったことを感謝しつつ、相手に主の祝福を贈ります。受ける者たちは、支援してくれる兄姉を通して主が愛と祝福を下さった事を感謝し、相手に主の祝福があるよう祈って受けます。パウロも、長年支援してくれるピリピ教会に感謝しつつ、自分を支えてくれるのはあなたがたではなく主であること。たとい十分支援できなくても、神さまが支えてくれるので、思うように支援できなかったことでがっかりしないでほしいと書き送りました(ピリピ4:11-13)。《第三に、それは各自が豊かに蒔いて豊かに刈り取るものです(6-7)》
聖書は、どれだけ献げるかの原則を伝えています。主の働きのために収入の1/10を献げる什一献金の原則は聖書を貫いています(マラキ3:8-10、マタイ23:23)。支援献金については、次の三つの原則があります。(1)「豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます」。(2)人に影響されず自分の「心で決めたとおりにしなさい」。(3)「神は、喜んで与える人を愛してくださいます」。人間同士の係りでは(事業としての健全な貸借は別)愛以外には何の借りもないよう聖書は命じます(ローマ13:8)。そして主は「受けるよりも与えるほうが幸いである」と教えました(使徒20:35)。私たちは、罪の赦しと救いのためにいのちを犠牲にされた主キリストに、莫大な借りがあります。主は自身の犠牲を、恵みとして差し出し、返済を求めていません。ただ主は、私たちが、ご自身への愛と兄弟愛をもって奉仕し献げることを願い、そうする私たちを愛し喜んで下さいます。