2022年3月20日・・・信仰による救いと告白の恵み
高木正勝
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。ローマ10:9-10(8-13)
パウロが手紙を書いたローマの教会は当時の世界の中心地にあり、多くの民族、言語の人たちが集っていた。ユダヤ人の他に多くの異邦人がいて(1:5-6)、そこで教義上の問題となっていたのが、キリストを信じるだけで救われるか、律法を行わなければ救われないのかということだった。
《信じるだけで救われる》
パウロがローマ教会の信徒に伝えたい最も大切なメッセージは、信仰による義がいちばん大切なことであり、救いは行いによるのではないということだった。信じるだけで神の前に正しいと認められるという、すばらしい救いの道すなわち福音がすべての人に示されたので、却って義を追い求めなかった異邦人が義を、すなわち信仰による義を得た(9:30-31)。それにはユダヤ人と異邦人の区別はなく、イエス・キリストはすべての人の救い主であることを、パウロはローマ教会の信徒たちに向けて力強く解き明かす(10:12)。
《口で言い表すことの恵み》
聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできない(1コリント12:3)。心の中に良いものを持っていない私たちが、聖霊の働きによる助けをいただいて、イエス様を主と告白できるのは信じた者に与えられる大きな恵みだ。教会の信徒の交わりは主イエス・キリストにある交わりだ。イエス様に感謝して、主がよくしてくださったことをたがいに証し合う。そのような場所は地上には教会以外にない。兄弟姉妹たちの霊の交わりによって立ち上げられるイエス様の地上のからだだ(1コリント12:27-13)。キリストが十字架の死にまで従われたのは、すべての舌が「イエスキリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためである(ピリピ2:11)と聖書は証しする。
《御名を呼び求める者はみな救われる》
父と子と聖霊の三位一体の完全な愛である神様は、関係性を重視される方だ。神様とあなたは、いま、どういう関係にあるだろうか。「御名を呼び求める」ことは関係性を意味する。主の御名を呼び求める者はみな救われる(10:13)。神が死者の中からよみがえらせたイエス・キリストを自分の個人的な救い主として信じて、神様の導きに期待し、人生のすべてを主の御手におゆだねして素直に従おう。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない」(10:11)とのみことばの確かな約束をいただいているのだから。