2022年4月3日・・・キリストが来られた目的
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。マタイ20:28(25-28)
キリスト(メシヤ)は、神が世界の救い主であり王として遣わすと約束された方を指す称号です。「イエス・キリスト」とは、イエスが救い主であると信じることをの言い表わす呼び名です。この箇所は、主イエス・キリスト自身が、何のために来たかをはっきりと証ししています。
《第一に、仕えられるためではなく、仕えるために来られた》
主は、誰が偉いかと争っていた弟子たちに教えました。地上の支配者は、権力をふるい人を自分に仕えさせる、しかし、ご自身は、仕えるために来られた、と(参:ピリピ2:6-7)。世界を創造し支配しておられる神である御子であるのに、この方は神の権威を捨てて、人の姿をとって来られ、私たち人間に仕えてくださいました。キリストを信じた者(=クリスチャン)も、キリストに倣って仕えるようにされます。《第二に、御自分のいのちを与えるために来られた》
キリストのいのちは、神のきよいいのち、無限の価値のあるいのちです。キリストは父なる神の命令により、また聖書の預言に従って、ご自身のいのちを犠牲にされました(ヨハネ10:18,イザヤ53:10)。また、キリストのいのちは、よみがえって永遠に生かすいのちです。キリストが死んでよみがえられたのは、私たちに永遠のいのちを与えるためです。この方を信じる者は、永遠のいのち(神と共にいつまでも生きるいのち)を得ると聖書は約束しています(ヨハネ3:16)。そして、この方を信じる者も、この方に倣って、受けるよりも与える方が幸いであることを証しするようにされます(使徒20:35)。
《第三に、ご自分を贖いの代価とするために来られた》
「贖い」とは、奴隷状態、負債、罪責から、代価を払って解放することです。「多くの人」(信じるすべての人)に罪の赦しを与えるため、キリストはすべての人の罪を負って身代りに死なれました。それが人類を罪から救う神のご計画でした(イザヤ53:10)。キリストは癒し主として、罪によって損なわれた私たちのいのちを癒やし、健全にします(1ペテロ2:24)。キリストのいのちの犠牲は、神に対する返し切れない罪の負債から、私たちを解放するための、身代りの代価です(コロサイ2:14)。また、身代りに苦しみと死の罰を受けることで、罪の審きから私たちを解放します(ヘブル9:22,エペソ1:7)。そして、私たちに罪を犯させ、巻き添えとして滅ぼそうとする悪魔に打ち勝ち、ご自分の恵みの支配のもとに取り戻して下さいます(1ヨハネ3:8,コロサイ2:15)。
世界から苦難と争いがなくならない根本原因は、罪です。キリストはそれを解決するために人となって来られました。