2022年4月17日・・・永遠のいのちの希望
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16(13-16)
イエス・キリストは、ご自身が永遠のいのちだと宣言され、聖書はこの方を信じる者は、永遠のいのちを持つと宣言しています。キリストを信じる者に約束された「永遠のいのち」とは何か、またどのようにそれを受けるかを確かめましょう。
《第一に、永遠のいのちとは、神に結びつき神といのちを共有することです》
聖書が伝えている「いのち」は、共に生き分かち合ういのちです。また、そのいのちは「永遠のいのち」、つまり永遠に生きておられる神が、ご自身の尽きないいのちをもって、死ぬべき私たちをも生かしてくださるいのちです。わたしたちがこの永遠のいのちを得るために聖書は記されました(ヨハネ20:31)。聖書が告げる永遠のいのちとは、私たちが神と結びつき、神が私たちを守り支え生かして下さるので、神と共に永遠に歩む特権と祝福にあずかることです。
《第二に、御子イエス・キリストは、永遠のいのちを与えるために来られた方です》
神と結びつくために解決しなければならない問題があります。それは神に対する罪(本来にあり方から外れていること)です。人は、神と共に歩むために創造され神に生かされているのですが、神と共に歩んでいません。神を認めず、神なして生きていけると考え、自分中心に生きています。これが罪の状態です。また、罪に支配されて抜け出せません。聖書のいましめの一つでも完全に実行しようとしてみるならば、罪に支配されている現実が明らかになります。神のいのちから切り離され、神の祝福を受けられない歩みの結果は、「死」です。しかしキリストが、私たちの罪のすべてを十字架で負って死んで下さいました。(イザヤ53:6)「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた」。キリストが私の罪を負って下さったので、この方を信じて委ねる時、キリストがあなたの罪を赦し、きよめてくださいます。
《第三に、この方を信じる者は永遠のいのちを持ちます》
キリストが、聖書の預言の通り(十字架の後)三日・・・目によみがえられたのは、この永遠のいのちを信じるすべての人に与えるためです。主キリストの復活は、十字架と同じく歴史の事実です。主の十字架の死を大勢の人が目撃しました。主の体は、新しい墓に丁重に葬られました。そして三日目の朝、この方は聖書の預言の通りに死者の中からよみがえられました。キリストは40日に渡り、ご自身が生きておられるとを示されました。それを大勢の人々が(同時に150名以上が)目撃し、証言しました。主は弟子たちが見守る中、天に昇られました。そして10日後、約束の通り聖霊を地上に送り、今もなお信じる者と共に働き続けておられます。弟子たちは、主の復活により、絶望から希望に変えられました。今もキリストは信じる者とともに生き、働いておられます。この永遠のいのちは、信仰によって与えられます。神の御子イエス・キリストが私の罪のために十字架で死なれ、三日目によみがえられたと信じるなら救われ、永遠に神と共に生きるのです(ヨハネ11:25-26)。