2022年4月24日・・・主は私の羊飼い~ダビデの信仰より~
神学生張替道雄兄
「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」詩篇23:1(1-6)
ダビデは、詩篇23篇(ダビデの賛歌)の中で主への絶対的な信頼と平安、従順を喜びと感謝に満ち溢れて、高らかに賛美しています。
《第一に、主は私の羊飼い。私は乏しいことがない(1)》
ダビデは、主は私の羊飼いであるから、私は乏しいことがない、つまり、欠けることが全くないと断言しています。この23篇の冒頭のこの1節を見るだけで、ダビデの羊飼いなる主への揺るぐことがない信仰がはっきりと分かります。羊である私たち人間は、愚かで、自分では何一つとしてできないのに、一生懸命、自分の力でこなそうとしていないでしょうか。また、羊飼いなる「主」がおられるにも関わらず、信頼せずに歩んでないでしょうか。羊飼いなる「主」は、羊である私たちをいつも見守り、保護し、自分勝手な道に向かっていかないように、最善の方向に誘導し、導いてくださるのです。「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハ10:11)私たちは、全知全能であられる羊飼いなる「主」に全幅の信頼を置き、目を離すことなく与えられた地上での歩みを歩んで参りましょう。また「乏しいことがない」ということは、今その時だけのことではなく、とこしえまでもということを認識しましょう。
《第二に、主は共におられる(4)》
「たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。」(詩篇23:4)ダビデは少年の頃から数多くの試練、困難、苦しみを経験したのです。彼ほど波乱万丈な聖書における登場人物は他に類を見ることはないのでしょうか。彼はどのような苦境の中にあっても、主が共におられることをいつも覚え、主を前に置いていたのです。「私はいつも主を前にしています。主が私の右におられるので私は揺るがされることがありません。」(詩篇16:8)それゆえ、ダビデは揺るがされず、不動の信仰を持ち続けたのです。私たちは、試練や困難がやってきたとき、いつも主が共におられるのに祈り求めることをせず、すぐに人為的な方法や、目に見えるものに頼ってしまいその事柄を乗り越えようとしてしまいます。「神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。」(詩46:1)
《第三に、いつまでも主の家に住まいます(6)》
「まことに私のいのちの日・・・の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。」(詩篇23:6)私たちキリスト者の歩みのゴールはどこにあるのでしょうか。それは天の御国です。ダビデは「いつまでも」「とこしえに」その「主の家」に住まうことを願い、心の底から喜びと感謝をもって賛美していたのです。私たちは、地上においては寄留者であり、旅人です。一時的な仮住まいに身を置いています。ですから、今与えられている地上での歩みを無駄にすることなく、ただ主の栄光のために、そして、福音宣教の働きの拡大のために、ダビデのように天のみ住まいに希望を置き、喜びと感謝を持って走り続けようではありませんか。