2022年5月8日・・・見ないで信じる人たちは幸いです
高木正勝
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」ヨハネ20:29(19-29)
エルサレム入城を前にイエス様は「人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日・・・後によみがえらなければならない」と弟子たちに教えられた(マルコ8:31)。しかし、弟子たちは空の墓に御使いが現れて、女たちにイエス様はよみがえったと弟子たちに伝えるよう告げられたとの知らせを受けたとき、たわごとと思い、信じなかった(ルカ24:11)。
《復活したイエス様》
そのような弟子たちのところにイエス様は来られて「平安があなたがたにあるように」と声をかける。なぜ、お前たちはわたしを見捨てて逃げたのかと責めるのではない。弟子たちは、イエス様の十字架の受難に対して、見捨ててしまったことに後ろめたさと恐れを抱いていただろう。しかし、彼らは「主を見て喜んだ」(20)。手と脇腹の傷あとを見たときに、後ろめたさや恐れ、混乱をはるかに超える喜びと平安が弟子たちを支配した(イザヤ53:5)。死者の中からの復活によってイエス様は本当に神の子であり、罪の赦しが成就された明確な証拠が示された。
《信じなかったトマス》
復活のイエス様に会った弟子たちは、さっそく、イエス様が来られた時に彼らと一緒にいなかったトマスに「私たちは主を見た」と証しする。トマスはイエス様の復活を目撃した証人から、福音を告げ知らされた最初の人となった。しかし、「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と答える。死者のよみがえりを信じることはできないことはある意味で、人の限界を示している。それは同時に罪の中に留まり続けることを意味する。そのようなトマスのためにイエス様は再びご自身を顕してくださった。
《見ずに信じる者は幸いです》
目に見えるものは明瞭で分かりやすいかもしれないが、一時的で、移り変わりやすい。私たちを罪から救い、新しいいのちを与えてくださる神様はそのような移り変わっていくような方ではない。私たちが「見えないものに目を留める」ためには聖霊の助けが必要だ。聖霊はイエス様の栄光を現わし、イエス様のものを受けて、私たちに伝えてくださる(ヨハネ16:14)。イエス様は、復活して今も生きておられるので、聖霊は今の時代にも日・・・々、私たちを助けてくださる。「信じない者ではなく、信じる者」になって、聖書のみことばをしっかりと握って歩もう。