2022年5月29日・・・報酬を辞退した理由
あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニアから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたからです。私は、何であれ、あなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。2コリント11:9(7-15)
愚かに見えても福音の真理を語ったと証ししたパウロは、報酬を求めずに福音を伝えてきた理由をここで語ります。ここから教会に仕える者の心と、その源であるキリストの心を知りましょう。
《第一に、パウロはコリント教会から報酬を受けずに労しました(7-9)》
神に仕える人たちは自分たちが仕える人々によって報酬を得るべきことを、主キリスト自身が教えられました(マタイ10:10)。パウロもその事を書き送っています(1コリント9:1-11)。伝道者を支えることは教会の喜び・祝福です。しかし、パウロは教会を守り、つまずきを避けるために報酬を辞退することが必要だと判断しました。コリントで開拓伝道を始めた時期には、教会の信仰や力が弱かったので、彼は天幕造りで自活しながら働きました。また、報酬を求めて入り込んだ偽教師(2:17)と混同されないため、また、諸教会への支援を呼びかけていた時に、彼が着服しようとしているとの疑念を断ち切るためでもありました。教会の誤解が解けた今、パウロは、自身の事情や思いを伝えることができたのです。
《第二にパウロの誇りは報酬を度外視して仕えることでした(10-11)》
パウロは、主にある誇りを宣言しました。それは、教会を愛し教会のために最善を尽くす、という誇りです(コロサイ1:25-26,1テモテ1:12)。彼は教会のために、犠牲を惜しまないで働き、言われのない非難を受けても忍耐しました。教会の益のためには、嫌われても厳しい指導を続けてきました。それは、主にあってこの教会を愛し続けていたからです(11)。神もまた、私たちすべて特に教会を愛しておられます。神が御子キリストを与えられた愛、御子キリストがご自分を犠牲にし与えられた愛が、あなたにも注がれています。あなたが信じて主の愛の内に歩むためです。キリストは、見返りを求めずにご自身を与え、弟子たちにこう教えられした。「あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい」と(マタイ10:8)。
《第三に、報酬への態度で真の奉仕者の姿が明らかにされます(12-15)》
パウロは、報酬を求めずに仕え続けることをこれからも続ける、と証ししました。それは、本物の奉仕者と偽物の奉仕者の違いを明らかにし、偽の教師が欲のために教会から奪い取ることをできなくするためでした。彼は、「無報酬で福音を提供し、福音宣教によって得る自分の権利を用いない」ことを自分の報いと喜びました(1コリント9:18)。教会は主の家族です。家族に仕えるのは報酬のためでなく、主と主にある家族を愛するからです。「サタンでさえ光の御使いに変装」するので、見かけでは正邪は判断できないでしょう。しかししばらく関わると、何を求めているかが判ります。本物かどうかは、何を求め第一にしているかにより明らかになります。神と人を愛して仕えることを誇りとして歩んでいる人こそ本物です。教会で仕える私たちが、さらに本物の奉仕者となってゆけるように祈り合い、共に励みましょう。それが教会が偽りから守られ、祝される道です。