2022年6月12日・・・主に遣わされた者
その後、主は別に七十二人を指名して、ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた。ルカの福音書10章1節伝道所三澤隆男
《キリスト者は、遣わされた者》
主イエスは、「ご自分が行くつもりのすべての町や場所に、先に二人ずつ遣わされた」(1節)ように、私たちキリスト者すべてを、ご自分の証人として遣わしておられます。主イエスの地上での最後のことばも、「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)と、福音宣教の使命を果たすための派遣命令でした。今日・・・、私たちは礼拝に集まりましたが、終わりに祝福を受けて、それぞれの家庭、また職場や学校などに派遣されます。派遣先では、未信者の方々と同じように、家事や仕事をこなし、勉強する等の働きに従事しますが、それだけに止まらず、それらの業を通して、私たちの主キリスト・イエスを証しするために派遣されていることを忘れてはなりません。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8)とあるように、私たちは、聖霊の力をいただいて、それぞれの場所に、証人として派遣されているのです。遣わされているのは、牧師だけではなく、私たち教会員の全員であることを自覚しましょう。《遣わされている者の資格》
派遣された者は、「主は指名して(選んで)」(1節)とあるだけで、才能や人格、信仰などに優劣には触れていません。「自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。」(Ⅰコリント1:26~28)とあるように無力無能な者を用いられます。ですから、「自分には、出来そうもない」と怯んではなりません。自力では誰も福音の証人にはなれないが、主キリストの選びに間違いがないとすれば、こんな私をも、神は用いてくださるに違いないのです。「私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」(Ⅱコリント4:7)とあるように。
《遣わされた者たちの心得》
派遣された者は、「財布も袋も持たず、履き物もはかずに行」(4節)くことです。主が「行け」と言われるなら、行くことです。神が、私たちの必要のすべてを備えて下さるのですから。私たちの神は、「アドナイ・イルエ、主の山には備えあり」(創世記22:14)の方です。父なる神に派遣されこの世に来られたイエス・キリストも、無一物の赤子でお出でになったではありませんか。派遣主は、「わたしがあなたがたを遣わすのは、狼の中に子羊を送り出すようなもの」(3節)と危険を承知で、そのためにお支えくださいます。道端で、長々と挨拶し、世間話に時間を浪費せず、「神の国があなたがたの近くに来ている」(9,11節)と伝えることこそが、何よりも緊急のことであることを弁えて、時を惜しんで、より多くの方々に、何とか伝えようと努めましょう。