2022年7月31日・・・キリストは力ある方です
キリストは弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力によって生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力によってキリストとともに生きるのです。2コリント13:4(1-4)
パウロはコリントへの3度目の訪問で、教会をキリストの力によって聖め立ち上がらせると証しします。私たちもキリストを信じる信仰によって、同じキリストの力をいただくことを知りましょう。パウロは次のように証しします。
《第一に、今度の訪問では、毅然とさばきを行なうと告げました(1-2)》
1度目はコリントの開拓伝道、2度目は第一の手紙を書き送った後、罪を指摘して悔い改めるよう指導、兄姉はかえって反発しました。これからの3度目の訪問では、「戒規」を厳しく執行すると告げます。戒規は、教会の会員が罪を犯した時に対処のため主イエス様が定めた規則です(マタイ18:14-22)。その目的は、教会や各自が主の祝福の内に守られることです。主の教えや愛と信頼の一致を破壊しようとする人がいた場合、事実関係を確かめ、忍耐をもって指摘し悔い改めるよう祈り導きます。なお聞き入れない場合は、同信の仲間としての交わりを止め、さばきを主に委ね、祈り続けます。その人へのさばきは主に委ね、信仰が回復するように祈り続けるのです。
《第二に、それは彼らが主の器を拒み続け、しるしを要求したためです(3a)》
パウロは、なぜ厳しい審きを行なわなければならないかを告げます。(13:3a)「こう言うのは、キリストが私によって語っておられるという証拠を、あなたがたが求めているからです」。心を頑なにした人たちが、パウロを、主が立てた使徒また宣教師であると認めようとせず、証拠を要求したからでした。彼は、様々の証拠を示しましたが、パリサイ人・律法学者がキリストに証拠を要求し続けて拒んだのと同じでした。彼らはキリストを十字架につけてしまいました。なぜ証拠を認められなかったのでしょう、彼らの問題は「信じようとしないこと」でした。彼らは、自分の罪や不信仰を認めず、自分が霊的(神様について)盲目であることを認めようとしなかったのです(参:ヨハネ9:39-41)。
《第三に、キリストは自身の力をもって弱い者を強める力ある方です(3b-4)》
パウロは、なお自分を拒んでいる人々に告げます。彼らも以前はパウロを認めていました。罪の赦し、永遠のいのち、神の子とされる特権、天国の嗣業、日・・・々の守りを、力あるキリストが与えて下さったと信じたはずでした。しかし、彼らは主の謙遜と弱さを理解していませんでした。主は私たちのために低く弱くなられ、辱めの中、死なれました(イザヤ53:6-8)。それが父なる神の計画であり命令だったからです(イザヤ53:6-8,ヨハネ10:18)。彼らは自分の弱さを認めず、不健康で弱々しいパウロの指導は受けられないと主張したのです。主と主の器に逆らっていた彼らは、その罪の故に霊的に弱くされていました。どんなに優れていても、神から離れ自分を頼るならば、その終りは死です。キリストの前に謙って救いを求めましょう。救われた者でも、高ぶってキリストの道を外れる事もあります。その時は悔い改めて立ち返りましょう。