2022年8月7日・・・自分の願いと神の主権 嶋田靖史
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。ローマ8:26
人は誰でも夢や願いを持ちます。自分の願いを祈る時に、叶えられる祈りと叶えられない祈りがあります。私たちは神のみ心をどのように受け止めればいいのでしょうか。
《運命と自由意志について》
聖書にはこの世界が創られる前から、神は私たちを選び、救いに導かれたとあります。「神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました」(ローマ8:30)。私たちの人生は生まれる前から神によって運命づけられているならば、自分の意志はどうなるのでしょう。神は人に自由意志を与えておられます。イエスの十字架の救いによって、罪から解放されて真の自由を頂きました。将来のことは人には分からず、神が未来をも支配されておられます。私たちは自分の意志で歩む道を選ぶ権利があると共に、人生を切り開いて行く責任があります。
《叶えられる祈りと聞かれる祈り》
「あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい」(マルコ11:24)。しかし実際には、クリスチャンが祈るものは叶えられることもあれば、叶えられないこともあります。自分の願い通りにならない時に、神は私の祈りを聞かれておられないのでは、と疑問を持つことがあります。「御霊ご自身がことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです」(ローマ8:26)。神は祈りを聞かれておられます。祈りが聞かれる、ということと、自分の願い通りに祈りが叶えられる、とは違います。神のご計画には時があり、私たちとは違う方法を取られることがあります。自分の視点ではなく、神の視点で捉えることが大切です。今も確実に神の働きは進められているのです。
《神の主権と人生の勝利》
どのような人生を与えられるかは自分で決めることはできません。それは神の主権の中にあります。たとえ不遇な人生だったと思ったとしても、自分自身の評価と神の評価は違います。「これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」(ローマ8:37)。神の選びによって救いに導かれた時から、天国への道は約束されています。クリスチャンは人生のゴールが何かを知っています。これが人生の勝利です。私たちにできることは、与えられた状況の中で、自分の意志によってしっかりと生きていくことです。今どのように生きるかは、自分の自由意志により決めることができます。将来のことは神の主権の中にあり、神にお委ねしましょう。どんな人生を歩んだとしても、たとえ負け組の人生なのかと思っていたとしても、結果として圧倒的な勝利者となります。神の御手の中で生き、勝ち組の人生になることが定められています。