2022年8月28日・・・私たちの罪のため自らを与えたキリスト
キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。私たちの父である神のみこころにしたがったのです。ガラテヤ1:4(1-5)
ガラテヤは、第一次伝道旅行でパウロたちが福音を伝えた小アジア北側の広い地域を指しています。この手紙は、「割礼を受けユダヤの律法を実行しなければ救われない」という「異なった福音」に影響された諸教会が「キリストの十字架と復活を信じるだけで、神の恵みによって救われる」と告げる正しい福音に立ち帰るために、書き送られました。今日・・・は冒頭のあいさつを見てゆきましょう。
《第一に、諸教会の守りと祝福を切望するあいさつを送ります(1-3)》
使徒パウロは、救いと召しを直接キリストから受けたと証しし(使徒26:14-18)、すべての兄姉と共に正しい信仰の指針を書き送ると告げます。福音の教えは神からの教え、人間の都合によってその教えや解釈を変えてはなりません。当時、新約聖書は完成していませんでしたが、律法の行いによって義とされない事は、旧約聖書とイスラエルの歴史が証明していました。またモーセも預言者も、行ないによらずに信仰によって神に受け入れられる救いを予告しました。それがキリストの福音です(申命記18:18,30:14,エレミヤ31:31-33)。彼はガラテヤの諸教会へと書き送ります。キリストの教会は「キリストに召され、各地に集められた礼拝する共同体」です。そして彼は、父なる神と主キリストから「恵みと平安があなたがたにありますように」とあいさつします。主の平安に加え、キリストの恵みがあるように祈ることが聖徒のあいさつです。
《第二に、キリストは私たちの罪のために自らを与えられたと宣言します(:4)》
神はご自身の御子を私たちに与えられました(ヨハ3:16,エペ1:22-23)。それは、罪の赦しのための身代りの犠牲です(マタイ20:28)。神の義であるキリストが与えられる時、私たちは、キリストが神に受け入れられるように受け入れられます。罪に定められることはありません(1ヨハネ2:1,ローマ8:1)。また永遠のいのちであるキリストが与えられる時、罪と死に勝利して永遠に生きておられるこの方と結びついて、共に永遠に生きる者とされます(1ヨハ5:20)。
《第三に、この神を信じ喜ぶことが私たちの目的です(:5)》
パウロは、彼の手紙に通常ある感謝を記していません。彼は、問題だらけのコリント教会に書き送った手紙においてさえ感謝を伝えているのにです。それは、これらの教会の問題が、深刻で切実な問題であったことを表しています。私たちの救いは、神の一番願っていることです。それは恵みのみによって差し出され、信仰のみによって受けることで、神の栄光が現わされるのです。バプテスマを受けること、教会に加わること、奉仕や礼拝を献げること、良い行いをすることは、もちろん良い事です。しかしそれを「恵みのみ信仰のみ」を否定して受けようとすれば、受けられません(2:16,エペソ2:8-9)。それは差し出された高価プレゼントを、わずかなお金で買い取ろうとすることです。神がいのちと自身を与えて下さった救いは、ただ信じて受けなければ得られません。