2022年10月2日・・・イエス・キリストにある救いと希望
加治佐清也あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。第一ペテロ1:21
希望は神にかかっています。その神とは、キリストを死者の中からよみがえらせた神です。キリストを私たちの救いのために与えてくださった神にこそ、真の希望があります。
《第一に、キリストは世界が創造される前から救い主として選ばれ定められていました(1:20)》
同時に、キリストにあって救われる人も、あらかじめ神に知られ、選ばれていたのです(1:2)。そういうわけですから、この救いは取り消されたり、失ったりすることはありません。クリスチャンは永遠の昔から神のみこころの中にあった、大切な存在なのです。この父なる神のみこころに従って、聖霊なる神が人を聖別し、キリストが十字架で血を流してくださいました(1:2)。父、子、聖霊なる三位一体の神が、一人の人の救いに深く関わってくださるのです。それほどまでに、一人一人は大切な存在なのです。《第二に、キリストは私たちのために今から約2000年前に世に現れてくださり、十字架で死なれた後、よみがえってくださいました(1:20-21)》
それは私たちがむなしい生き方から解放され(1:18)、キリストに従う人生を歩むためでした(1:2)。キリストは、そのために自ら十字架の上で私たちの身代わりに罪を背負って犠牲になってくださったのです(2:24)。それだけではなく、キリストはその死からよみがえり、私たちを導く監督者、牧者(羊飼い)となってくださいます(1:25)。キリストは愚かな羊のような私たちを導く羊飼いなのです。その導きのもとで、人はその生涯を通して、生活のすべてにおいて聖なる者とされていきます(1:15)。その目指すべき姿は、家庭生活や仕事、国との関係など、具体的に聖書に教えられています。また、救われた人は教会に属するように招かれています。互いに兄弟愛をもって、優しく謙虚な交わりをしつつ(3:8)、それぞれの賜物を生かして互いに仕え合うことが、主のみこころです(4:10)。教会はキリストのからだであり、羊飼いであるキリストが監督し牧しておられる共同体です。《第三に、キリストは今栄光のうちにおられ、やがて世の終わりに私たちを迎えに来てくださいます》
クリスチャンには、朽ちることも、消えることもない資産が用意されています(1:4)すなわち、永遠のいのち、新しい復活の体、死や罪のない完全な世界が約束されているのです。クリスチャンには以上の3つの希望、すなわち永遠の昔から神に愛されており、決して見捨てられることのないという希望、復活の主イエスの導きのもと、確実に人生がよくなっていくという希望、世の終わりにすばらしい祝福がある、死に勝利しているという希望があります。真の希望は神にかかっています。このような救いを与える神を信じ、確かな希望を受け取られることを、心からお勧めします。