2022年10月9日・・・確かめられた信仰のみによる義
私は啓示によって上ったのです。そして、私が今走っていること、また今まで走ってきたことが無駄にならないように、異邦人の間で私が伝えている福音を人々に示しました。おもだった人たちには個人的にそうしました。ガラテヤ2:2(1-10)
信仰のみで救われるのか混乱させられていた諸教会に、パウロはここで、この問題は既に解決していることを伝えます。
《パウロたちがエルサレムに上ったのは、この真理を確認するためでした(1-2)》
ユダヤから下った人たちが「割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていたため、パウロたちとの間に論争が起こっていました。パウロたちは、主の示しに従ってエルサレムに上りました。これまで主に召されて異邦人に福音を伝えてきた働きが「無駄にならないため」でした。パウロは救われたすぐ後、聖書の教えを確かめ、割礼によらず信仰によって救われることを確信して働き続けてきました。アブラハムが義とされたのは、割礼ではなく信仰によってでした(ローマ4:3)。ダビデもそう証ししています(ローマ4:7)。預言書は、肉でなく心の割礼が、新しい契約によってもたらされると約束しています(申命30:20,エゼキエル44:9,エレミヤ31:31-33)。主も、救われるために自身を信じなさいと繰り返して教え「あなたの信仰があなたを救った」と確証しました(ルカ7:50,8:48,17:19,18:42,22:32)。
《その席でギリシア人の同労者も割礼を強いられずに受け入れられました(3-5)》
この会議でキリシア人の同労者テトスに割礼を強いる者はいませんでしたが、多くの論争がありました。パリサイ派であった信者の中には「異邦人にも割礼を」と主張した者もいました(使徒15:5)。しかしパウロは、一時も譲歩しません。それはキリストの完全な救いを損なうことだからです。キリストはすべての人の救い(罪の赦しと義といのち)のために十字架で完全な犠牲を払われました(1テモ2:6)。割礼を受け律法を守ることでは義とされないことは、律法にあらかじめ告げられており、イスラエルの歴史によって証明されています(申命31:29)。救いの道は、「恵みのみ、信仰のみ」によってです(ガラテヤ2:16)。
《パウロが異邦人への使徒として立てられたことを全教会が認めました(6-8)》
エルサレム会議の結論がどうなったかを確かめましょう。使徒ペテロも異邦人が信仰によって救われることがみこころであることを、主ご自身から示されたことを証ししました。カイザリアの敬虔な百人隊長コルネリオの家での大勢の異邦人の救いです(使徒10:43-48,15:16-18)。主がなされた同様の多くの証拠をバルナバとパウロも証ししました。またエルサレム教会の指導者ヤコブが、これらのしるしが旧約聖書の預言の成就であることを説明しました(使徒15:16-18,アモス9:11,ミカ4:1-2)。こうして使徒たち、ユダヤの諸教会、異邦人伝道を続けてきたバルナバやパウロたちは一致して、この結果を異邦人教会に伝えたのです。その時に、パウロたちの主張に付け加えられたのは、貧しい人たちを顧みることでしたが、それは既に実践していることでした。救いは恵みにより信仰を通して与えられます。この真理は、当初から聖書が証ししている揺るがないものです。