2022年10月16日・・・ペテロを叱ったパウロ
しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。ガラテヤ2:16(11-16)
ここには、アンティオキアにおいて割礼派を恐れて妥協した使徒ペテロに抗議したパウロの証しが記されています。割礼派は、割礼を受け律法を守らなければ義と認められないと主張して福音を曲げていました(1:6-9)。私たちも「福音の真理に向かってまっすぐに歩む」ことができるよう、信仰を整えていただきましょう。
《第一に、祝された主の器であっても妥協してしまう危険があります(11-13)》
ペテロは、異邦人も福音によって神の前に聖くされることを主ご自身から教えられて異邦人に福音を語り、バプテスマを授けました。彼はそのことをエルサレム教会の兄弟たちに証ししました(使徒10章)。彼は後のエルサレム会議(使徒15章)でも証言し、異邦人も割礼なしで福音を信じて救われ聖徒とされることを全教会が確認しました。使徒ペテロは、アンティオキアで異邦人(クリスチャン)と食事を共にしていたのに、ヤコブのところ(エルサレム教会)からユダヤ人たちが来ると「割礼派の人々を恐れて」「本心を偽って行動」し、異邦人から身を引いてしまいました。他のユダヤ人クリスチャンやバルナバまでも、彼の行動に引き込まれてしまったのです。人を恐れると罠にかかる危険があります(箴言29:25,マタイ10:28)。
《第二に、主キリストから目を離さないで進みましょう(14)》
パウロは面と向かってペテロに抗議しました。キリストは父なる神から委ねられた主であり、さばき主、真理だと聖書は告げています。異邦人であってもユダヤ人であっても人類は皆罪人であり、神の前に汚れた者です(ローマ3:9)。しかしキリストが自分の罪のために十字架で死なれ三日・・・目に復活されたことを信じる時、異邦人であってもユダヤ人であっても一切の罪を赦され、神の聖徒とされました(エペソ3:6)。共にキリストの内に歩むためにキリストをまっすぐ見つめ、愛と敬意と柔和をもって主にある確信を証ししましょう(ヘブル12:2)。
《第三に、人はみな、律法の行ないでなく、信仰によって義と認められます(15-16)》
主の民であるユダヤ人と、主を知らずに歩んできた異邦人の考え方や歩みは大きく異なっています。神はイスラエルに自身の力と知恵と聖さ、みことばの正しさを示し、愛と忍耐をもって導かれました。しかし彼らは、主の愛と恵みを知る程に高ぶって主に逆らってしまいました。一方異邦人は、ユダヤ人のように厳格な教えや取り扱いを受けませんでしたが、善悪を判断する良心が異邦人に対する律法でした(ローマ2:4)。彼らは良心に逆らう歩みを続けてきました(ローマ2:14-15)。肉なる者(=生まれつきの人)はだれも、律法を行うことによっては義と認められません。人が神の前に義(ただ)しいと認められ、神に受け入れられる道は、キリストを信じる信仰のみです。キリストは十字架ですべての人の罪の身代りとなり、復活して永遠のいのちを与えてくださいました。この福音を信じて歩みましょう。