2022年10月23日・・・新しく生まれ、新しく生きる
三澤則幸人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。ヨハネ3:3(1-15)
≪神の国を求めるニコデモ≫ニコデモは夜イエス様のお泊りになっている家に訪ねてきました。律法学者で最高法院の議員という立場上、人目に触れずにひそかに会うために夜間を選んだのかもしれません。2節ニコデモは「あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」と話し始めます。イエス様はそれにはお答えにならずに、まことにまことにあなたに言いますと、語りかけます。この言葉はニコデモとの短い会話の中に3度出てきますが、これは本当に大切な事を語る時に用いられる言葉です。イエス様は短刀直入にニコデモの持っていた、長年の課題に直接迫ります(3:3)。
≪旧約聖書から解き明かすイエス様≫人は老いていながら、どうやって生まれることができますか......と問うニコデモに(3:4)、「人は水と、御霊によって生まれなければ神の国に入ることはできません......」(3:5~6)と答えました。(1)新しく霊的に生れなければ、神の国に入ることは出来ないと言われたのです。ニコデモはこの新しく生まれる、ことを母親の体から生まれる出産のことと誤解します。(2)しかし主は愛を持って語られます。民数記21:4~9イスラエルの民が荒野でモーセと神に逆らい罪を犯したとき、神は燃える蛇を送られました。多くの者が死にましたが、竿に掲げられた青銅の蛇をあおぎ見ることで多くの人が生きました。やがて主ご自身が罪の贖いのため十字架につかれることを彼に知らせたのです。「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(3:15)。ニコデモは、神の国の到来と救い主の現れを待ち望んでいましたが、目の前におられる方が救い主キリストと気づくことは出来ませんでした、この霊的理解力の乏しさは民衆も弟子たちも同様でした。ニコデモは悩み動揺と失望のうちに帰ったのでしょうか。
≪変えられたニコデモ≫イエス様はこの後3年の公生涯を、人々に「神の国」のこと「信仰による救い」さらに「十字架と復活」について教えられます。ニコデモがこの後に登場する記事からは、彼の心の変化を読み取れます。(1)サンヒドリンの議会での場面:ヨハネ7:50~53(2)3年後の、過ぎ越しの祭りの時に、イエス様が十字架にかけられた時、既に、ひそかな弟子となっていたニコデモは十字架を仰いだ時にすべてを理解しました。それは行動として現れ、十字架に掛けられたイエス様の遺体をアリマタヤのヨセフと共に引き取り、今度は夜ではなく人目をはばかることなく、ユダヤ人の埋葬のしきたりに従って、丁寧に埋葬したのです。
イエス様は、この信仰を働かせたニコデモとアリマタヤのヨセフにご自分の体をお任せになったのです。当時のユダヤ社会の中で、イエスをキリストと表明することは大きなリスクを伴うものでした。しかし新しくされたニコデモには地上のことなどはどうでもよかったのでしょう。私たちも主に祈り求めるときそれぞれに何を「お任せ」下さったかを知る事でしょう。主がお任せ下さった事を目指して生きることは、私たちの大きな喜びです。1ヨハネ5::3~5