2022年11月27日・・・キリストにより神の子どもとされた
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
ガラテヤ3:26(23-29)
3章の最後の部分から、キリストを信じる者は、律法の支配から解放され、神の子どもとされていることを共に確かめましょう。
《信仰により義とされた者は、養育係である律法の支配下にない(23-25)》
アブラハムを通して、義とされるのは信仰によることが約束されました。その後律法が与えられ、すべての人は行いによっては神の前に義と認められない事が明白になりました。律法は、信仰以外に義とされる道がない事を明らかにし、「私たちをキリストに導く養育係」となりました(23)。また律法は、人類の歩みを伝えます。神に造られた人類の祖先が神との約束を破り、悪に傾くばかりだったこと。洪水により人類を最も敬虔な家族から再出発させたが、人類は集まって神に逆らい、神は安全弁として、ことばを混乱させ散らしたこと。アブラハムから救い主を生み出す民族イスラエルを生み出したが神に反逆し捕囚に至ったこと、をです。しかしイスラエルから約束の子孫キリストが来られ、この方を信じる事によって罪が赦され義とされる救いが与えられました。キリストを信じる時、律法はその役目を終え、信仰によって神の愛と恵みの内に歩む者とされます。そのために御子キリストは、十字架で人類の罪のために死んでくださいました(ローマ4:5,5:6)。
《信じてバプテスマを受けた者はみなキリストにあって一つにされた(27-28)》
「クリスチャン」とは、キリストを持つ者、キリストに捉えられた者という意味です(使徒11:26)。それが父のみこころだと、主は祈り示されました(ヨハ17:21,26)。信じた者は、キリストと一つに、その人がキリストの内にありキリストがその人の内にあるようにされます。そして父なる神は、御子キリストに対するようにその人との関係を結ぶのです。また、信じてバプテスマを受けた者は「キリストを着た」者です。バプテスマは公けの信仰の告白であり、キリストと歩む誓い、教会への入会式、公にキリスト者として自分の立場を明らかにします。神は、私たちが着たキリストの義を見て私たちを義と認めて下さいます。キリストの衣は、私たちを世の嵐や攻撃から守ります。キリストの衣は、制服のように、私たちがキリストの者であることを人々に示します。キリストは、民族、身分、性別を超えて私たちを一つにします(ピリピ3:20,エペソ2:14-16)。
《信仰によって、キリストにあって神の子ども・相続人とされた(26,29)》
その人は、キリストにあって神の子どもです。御子キリストが父なる神にとって子どもであるように、神は、信じたその人をご自分の子として関わってくださいます。また信じた者は、キリストの父なる神を、キリストが御父と関わるようにわが父として関わる者に変えられます。親しく呼び、遠慮なく願い、交わり、同居し、共に労します。その人は、キリストと共に、アブラハムの子孫であり、神の祝福と御国の相続人です(29)。アブラハムに約束された神の国を共に所有し、アブラハムに与えられた信仰の祝福を共に受けます。御子キリストと共に神の一切を相続します(エペソ3:6)。このように、キリストを信じる者は、律法の下にはなく、神の子どもとして神の愛と恵みの内を歩むのです。