2022年12月18日・・・私たちの救い主の誕生
ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカ2:6-7(1-7)イエス・キリストの誕生の出来事と、その意味について共に確かめましょう。
《第一に、神は確かにご自身のご計画のままを導かれました(1-3)》
記者ルカは、ローマ皇帝アウグストゥスの命じた住民登録を、救い主誕生の時と場所に結びつけて記します。後にこの年が、世界共通の年代の指標となる「西暦」の元年とされました。帝国の全住民が、故郷に行って自分の家族を登録しなければなりません。ヨセフは、そのために、身重の妻を故郷ベツレヘムへの旅に伴います。神は皇帝の命令をも用いて、救い主がダビデの町ベツレヘムで生まれるとの預言(ミカ5:2)を成就しました。どんな状況にあっても、神の約束は必ず実現することを、確信していましょう。《第二に、救い主は自分を低くして私たちのところに来られました(4-5)》
「ヨセフも」(:4)とあるように、彼はベツレヘムを故郷とする大勢の人々の一人でした。町は登録者でごったがえし、宿屋はどこも一杯でした。誰も身重の妻を抱えた夫婦に、部屋を与えませんでした。またヨセフとマリヤには、自分たちを泊めてくれる親戚や友人が、この町にいませんでした。救い主は、人々が知らない中、密やかに生まれました。これも聖書の預言の成就でした(イザヤ53:1-3)。私たちを恐れさせないため、また欲望を呼び覚ます「見た目や権威や富」に惑わされないため、神の御子は、秘やかに、自分を低くして来られました(2コリント8:9)。このお方は「仕えられるためではなく、仕えるために」来てくださいました。有名になるためではなく、神の恵みを一人一人が受ける事ができるために、来られました。《第三に、自分を低くして来られた救い主を迎えましょう(6-7)》
マリアはこの町で救い主を生みました。救い主は男子の初子、主のものとして献げられるべき長子でした。両親は、この子を主のものとして献げ、主がこの子を用いられます。また救い主の真の父である神は、このお方を私たち人類のために献げてくださいました。救い主は父の命令に従いご自分のいのちを私たちのために献げて、私たちの罪を赦し永遠のいのちを与えてくださったのです(マルコ10:45)。救い主は家畜小屋で誕生し、飼葉桶に寝かされました。宿屋には場所がありませんでした。誰も救い主の誕生に気付かず、神の御子・救い主に場所を空けて迎えることをしませんでした(ヨハネ1:10-11)。聖書は、マリアの胎に宿り、ベツレヘムで誕生した幼子イエス・キリストは、神であり全宇宙を創造された方だと証ししています(ヨハネ1:3)。それを人類は知らず、神の民イスラエルは受け入れないばかりか拒んで十字架に架けてしまいます。これも神のご計画でした(イザヤ53:6)。しかし、この方を受け入れ、この方が自分を救って下さる方と信じるなら、その人は神の子どもとされます(ヨハネ1:12)。真の神は、私たちのために低くなること、傷付けられること、失なうことを、私たちを愛する故に厭いませんでした。そして私たちが、ご自身のいのちと平安と喜びを受けるように願っておられます。