2023年1月15日・・・救いの幸いを希望として歩もう
ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。ガラテヤ4:7(7-15)
キリストを信じた者は、与えられた救いを失なうことはありません。しかし、救いの確信が揺らぎ平安が失なわれる事もあります。信仰の困難が現実に起こることと、回復の道が備えられていることを確かめましょう。
《救いの祝福を受けながら神以外のものに支配される危険があります(7-11)》
ガラテヤ教会の兄姉は、せっかくキリストを信じて救われたのに、救われる前の考えや生活に舞い戻ってしまいました。パウロの後に入り込んだ偽教師により、信じるだけでは救われないと吹き込まれて、ユダヤ人がキリストを拒んだ誤った道に捕えられていました。主キリストはぶどうの木のたとえを通して、自身に留まること、ご自身の教えに従って留まることが実を結ぶために必要なことを教えました。聖書の神は、すべてを創造し、すべてを支配しておられる神です。この方に祈り、この方に頼れば、一切の必要は満たされますし、正しく導かれます。新しい生き方や新しい関わり方に変えていくことは、不安やあれつきも起こるでしょう。しかし、救いの内に歩むことは闇の内から光のうちに歩むことです(エペソ5:8)。
《パウロは非道を行った兄姉を赦し、かつての愛を覚えて感謝しました(12-14)》
パウロは「私のようになってください」と訴えました。彼は福音のために、相手の「ようになり」ました。文化や育ち、立場や性格、好みや意思疎通の方法の違いがあり、通じ合う事は本当にむずかしいことです。聖い全知全能の神と罪に支配された人類とのギャップは、さらに大きかったのですが、御子は自身を捨てて、人となって私たちのところに来て私たちに仕え、私たちのために死んでくださいました。キリストの愛をいただいた聖徒は、隔てを乗り越えることができます(1コリント9:20-22)。今パウロは、自分があなたがを主によって受け入れたように、私を受け入れてほしい、と懇願します。心を開いて聞きさえすれば、主にある愛と信頼が呼び覚まされるからです。また、パウロは彼らに「私に悪い事を一つもしていない」と伝え、責めません。キリストが自分を赦して下さり、彼らの悪もキリストが恵みに変えてくださったので、彼は主にあって赦したのです。
《パウロは救いの愛と幸いを取り戻すよう兄姉に訴えます(15)》
「それなのに、あなたがたの幸いは、今どこにあるのですか。......「(15節)。どんなに祝され、愛に満ちたクリスチャンであっても、その祝福を見失なうことがあります。特に救われたばかりの喜びや感謝を見失なうことがあります。ガラテヤの教会は、誤った教えをもたらした偽教師により確信を揺るがされ、自分たちに福音を伝え指導したパウロを拒んでしまいました。彼は当初の祝福と信仰による救いの確かさを思い起こさせました。パウロが静養のためガラテヤに赴いた時、彼を気遣い、彼の目の回復のために、自分の目を差し出そうとまで愛していました。彼は、兄姉が偽りの教えから救い出され、祝された信仰を回復するよう切実に祈り、書き送ったのです。信仰を守られるために、聖書のみことば、そして、教会生活を大切にしましょう。教会はまだ不完全ですが、主の真実と恵みが宿っています。エペソ1:23「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです」。