2023年1月29日・・・約束の子どもこそ自由の子ども
しかし、聖書は何と言っていますか。「女奴隷とその子どもを追い出してください。女奴隷の子どもは、決して自由の女の子どもとともに相続すべきではないのです。」ガラテヤ4:30(21-31)ここで聖書は、信仰の父・アブラハムの家庭に起こったことを例として取り上げ、彼らの信仰のあり方にあてはめます。聖書に記されている神のみこころに従ってこそ、罪の赦しと永遠のいのちの救い、また神の祝福や栄光にあずかれるのです。
《アブラハムの家も人間的な道と信仰の道が対立していました(21-23)》
主は救い主を送るためにアブラハムを召しました。信じた彼を主はカナンの地に導き、子孫にこの地を与えると約束されました。10年経っても子どもが与えられなかった妻サラは自分の女奴隷ハガルを夫に与え、彼女により子を成そうとします。それは主のご計画を人間的な方法によって実現しようとする誤った方法でした。ハガルはアブラハムにイシュマエルを生みますが、主は祝福を受け継ぐ子どもはサラから生まれると告げ、アブラハムが100歳、サラが90歳の時、約束の息子イサクが生まれました。イシュマエルはイサクをいじめ、主はハガルと彼を追い出すよう命じます。この出来事は、主の祝福の約束は信仰を通して主の働きにより実現すること、人間的な考えや方法は主の働きをじゃまするので除かなければならないことを告げています。《この出来事は聖徒や教会のあり方に当てはめられます(24-27)》
アブラハムに関わった二人の女性(サラとハガル)は「二つの契約」を現わしていると聖書は告げます。ハガルは一つ目の契約、アブラハムの後400年後にシナイ山で与えられた律法、「戒めを完全に守るならば義とされる」戒めです(申命6:25,ヤコブ2:10)。シナイ山は「今のエルサレム」人が義とされるのは行いによるとする律法主義です。律法は正しい規準を示しましたが、人は罪の奴隷のままです。サラは二つ目の契約、アブラハムの召しの時に与えられた約束を指します。信仰によって不妊の女サラは約束の子イサクを生みました。そのように、何の力も働きもない者がただ信仰によって義とされ、御国を相続するのです。「不妊の女」はサラを、「夫に捨てられた女」はハガルを指しています。