2023年2月5日・・・大切なのは愛によって働く信仰
キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。ガラテヤ5:6(1-)前回、神の国を受け継ぐのは人間的な方法ではなく神の約束を信じる信仰であることを確かめました。続くこの箇所は、信仰により救いを受けた者にとって何が大切であるかを告げています。
《第一に、キリストが自由を得させくださったことです(1-2)》
キリストはご自身を信じた者に宣言しました。「わたしのことばに留まるなら」弟子となり、真理(であるキリスト)を知り、真理はあなたがたを自由にすると(ヨハネ8:31-36)。主が与える自由は地上での立場ではありません。罪と死の支配から解放されることです。律法は罪を明らかにしますが、罪から解放しません。しかしキリストが私たちの身代りに死なれたので、罪と死はもはやキリストにある者を支配しません。自由のもう一つの意味は、自分で正しい判断をしてそれを実行できることです。キリストは私たちに、神と人に喜ばれる判断をし、成し遂げる力を与えます。
《第二に、律法による義を求めるならキリストと恵みを失ってしまいます(3-5)》
律法は、戒めを完全に守らなければならないと命じます。それは不可能なので、律法の下にある人は神の罰から逃れられません。キリストが律法を終らせたので、信じる者はだれも罪と律法から自由にされています。しかし、もし律法の支配に戻ろうとするなら、律法による罪の支配に逆戻りすることになってしまいます。罪の赦しの唯一の道である十字架と復活を否定することは、キリストを敵とし神の恵みを拒むことになってしまいます。確かに信じた者も罪を犯すことがありますが、罪の内に歩んではいません。福音が信仰から信仰に進ませ、救いが完成することを、御霊のとりなしによって待ち望んでいます(ローマ1:17,8:26)。
《第三に、大切なのは(割礼の有無でなく)愛によって働く信仰です(5-6)》
キリストは私たちを愛して、私たちの罪のために十字架で死んでくださました。ここに真の愛、神の愛があります(1ヨハネ4:10)。神は、愛される価値のない私たちを愛し、ご自分の最も大切な御子を遣わし、御子のいのちまでも与えて私たちを救ってくださいました。それによって私たちは愛が分ったのです(1ヨハネ3:16)。キリストは信じた私たちに愛を満たしてくださいました(ローマ5:5)。愛によって信仰が生きて働くのです。信仰は、その方自身とそのことばに信頼し従うことです。愛は品性を生み出します。聖霊により神の愛が注がれて、苦難さえも喜びに至り、失望に終わりません。キリストの愛は、すばらしい愛の実と実践を生み出します(1コリント13:4-7)。こうして神は、私たちをキリストの犠牲により義と認め、キリストのいのちによって実際に義しい者に新生させ成長させ完成させてくださるのです。割礼の有無、つまりユダヤ人であるか異邦人であるかは小さなことです。大切なのは唯一の救い主キリストの救いを得させ、神の愛によって働く信仰です。