2023年2月12日・・・愛をもって仕え合いなさい
兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。
ガラテヤ5:13(7-15)
前回の箇所で使徒パウロは、キリストが与えてくださった自由を損われてはならないこと、また大切なのは「愛によって働く信仰」であると伝えていました。さらに彼は、十字架の救いこそ律法の戒めを守る道であることを証ししています。
《第一に、十字架の救いの真理を守るために戦う必要があります(7-12)》
パウロは福音の真理から外れてはならない数々の理由を挙げて訴えます。福音を否定する者は、神から出た者ではありません。それが「反キリスト」です(8)。律法主義のパン種は、わずかでも全体に影響を及ぼしてしまいます(9)。キリストの福音に敵対する者は、神の敵となってさばきを自分に招きます(10)。パウロが迫害を受けている事実は偽兄弟たちが教会の敵であることの証拠です(11)。罪の原因である肉体を切り取っても罪の性質はなくなりません(12)。ですから、なすべきことは、キリストに留まり続けることです(ヨハネ15:9,1ヨハネ2:28)。
《第二に、注がれた神の愛により互い愛し合うことで律法を全うできます(13-14)》
キリストの救いによって、信じた者は「自由」を与えられました(ルカ4:18-19,ヨハネ8:36)。「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」(ローマ8:1)。与えられた自由を、神と人に喜ばれる「義」のために用いましょう(マタイ6:33,ガラテヤ5:14)。肉(=罪に支配された生まれつきの性質)のために用いてはいけません。たとえ良いものであっても、神の事よりも人の事、永遠のことよりも地上のこと、神や人々の満足よりも自分の満足できることを選ぶ事などをです。最も大切ないましめは、神を第一に愛すること、隣人を自分自身のように愛することです。決まりを一つ一つ守る事よりも、主の愛に満たされて、神を愛し、人を愛することの方が、ずっと律法を守っています。「愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです」(ローマ13:10)。
《第三に、互いに争って、滅ぼされるようなことがあってはなりません(15)》
最後に、パウロはつけ加えます、「互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます」と。神の嫌われる誤ちや罪を除いて、神に喜ばれようとする熱心、神に喜ばれることを実行しようという熱心はすばらしいものです。しかし、それが行き過ぎて、自分が他の兄姉より優れていると高ぶってしまって、人に要求し相手をさばいてはなりません。また逆に、自分はだめだと責めて失望してはならないのです。互いの愛や謙遜、一致協力が失なわれたら、喜びや元気を失なってしまいます。伝道者の書7:16が指摘する通りです。「あなたは正しすぎてはならない。自分を知恵のありすぎる者としてはならない......」。神は全知全能ですが人間は不完全です。聖い神が罪深く弱い私を「あわれんで」犠牲を払って赦し救い、助けておられることを覚えて、主にある赦しと信頼の関わりを守りましょう(エペソ4:32,コロサイ3:13)。