2023年2月19日・・・御霊によって歩みなさい
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。ガラテヤ5:16(16-26)パウロは「御霊によって歩みなさい」と命じ、その事が罪に引き込む肉の誘惑に勝利する道だと告げます。この聖書の励ましを共に自分のものとさせていただきましょう。
《御霊によって歩むなら肉の欲や律法に囚われることはない(16-18)》
「肉の欲望を満たす」とは、罪に支配されている肉の性質により、この世の満足を求める欲望に支配されることです。その結果「依存症」のように、周囲や神を悲しませ、自分も苦しむことになります。しかし聖霊は、私たちをキリストに向い、キリストに従うよう助けてくださいます。肉の欲望から脱しようとすると、内外に戦いが生まれます。パウロもこの苦しみを体験していました(ローマ7:19-23)。キリストを信じて救われた後に、困難が増すのは、善を願うように変えられたからです。「私は聖霊の導きに従う」と自分を聖霊に委ねる時、聖霊は、私たちが主のみこころに従えるように導きます(ローマ7:24-25)。信じた私たちは、人を罪に定める律法の支配の下ではなく、キリストにある自由の支配のもとにあります。《「肉のわざ」を行なっている者は神の国を相続できない(19-21)》
肉(=罪に支配された生まれつきの性質)は人を神の嫌われる考えや行動に駆り立て、私たちを神から引き離します。肉の働きは、以下のようにはっきり認められます。「淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術(誤った方法で思いを遂げる)、敵意(味方を敵とする)、争い(相手を邪魔物にする)、そねみ(正しさへの反発)、憤り、党派心、分裂(仲間割れ)、分派(真理から逸れて別のグループを作る)、ねたみ(優れたものをつぶそうとする身勝手)、泥酔(誘惑に支配され自分を失う)、遊興(努めを放り出して遊び歩く)などです。このような人や集まりに、主が共にいることは不可能です。そのような人に神の国を任せることは不可能です。《救われた者は御霊の実を結んで御国を相続する(22-26)》
一方、キリストを信じた者はみな聖霊を与えられています。聖霊の導きに従って歩む時、御霊が実を結ばせます。それは、愛(相手のために喜んで犠牲を払う)、喜び(互いの存在の価値を実感し感謝し合う)、平安(安心して歩み接する)、寛容(困難にも落ち着いて知恵深く応じる)、親切(相手のために積極的に行動)、善意(良い事を進んで行う)、誠実(相手のために真実に関わる)、柔和(へりくだり相手を尊敬して仕える)。キリストが持つ性質と歩みを、聖霊はキリストから受けて、与えます(ヨハネ16:14-15)。キリストを信じた私たちは、聖霊によってキリストを受け、キリストに似る者に変えられ、神や兄姉と幸いな関係を築いてゆきます。パウロはここでも老婆心から高慢・敵意・ねたみを諌めました。各自の歩みや賜物は異なるため、さばいたり焦ったりする事が、主の最善の中にも起こります。弱さや罪に失望する時もあります。しかし主は私たちを見捨てずに、聖く傷のない者に完成してくださいます。