2023年3月5日・・・重荷を負い合う恵み
互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。ガラテヤ6:2(1-5)罪に支配され自己中心である肉の性質は、律法主義や放縦に走って、信仰をしなびさせてしまう危険があります。この危険に打ち勝つ道は「互いの重荷を負い合う愛」です。
《第一に、柔和をもって誤ちに陥っている人を正します(1)》
偽兄弟たちが持ち込んだ教えは、恵みではなく人の努力で祝福を得ようとする誤ちです。それが不可能であることを旧約の歴史が証明しています。主もそれを警戒するよう弟子たちを戒めました(マタイ16:6,12)。キリストの福音は、神が、罪と死を解決する御業を十字架と復活で成し遂げて下さったことを宣言しています。神との祝された関係を回復する道は、この福音の恵みを信じる信仰のみです。そして、恵みに生かされた結果として、あらゆる良い行いを成し、成長するのです。キリストさえも誘惑したサタンは、クリスチャンに対しても、肉の考えに引き込もうとあらゆる機会を用いようとします。例えば「がんばらなくてはいけない、がんばったから成功したね」ということばも、恵みから引き離す危険があります。主に倣って、柔和な心で、しかし毅然と誤ちを正すことが必要です(1ペテロ5:8)。《第二に、重荷を負い合いキリストの律法を成就します(2)》
愛は相手のために、労苦と犠牲を惜しまないことです。相手の幸いのために何が大切でしょうか。気分を損ねないために、滅びの道を歩んでいる人に救いの道を伝えないことは、その人を死と死後のさばきに留めることになってしまいます。互いの真の幸いために重荷を負い合うことが愛の実践です。「キリストの律法」は恵みと愛の律法です。主キリストは、私たちを愛して私たちのために十字架で死によみがえって、ご自身を与えてくださいました。こうして私たちから罪と死の重荷を取り去ってくださいました。キリストの教会につながりキリストの愛に満たされ、互いに愛し合い支え合って共に救いの完成をめざして励むこと、これが重荷を負い合うことです(箴言17:17,伝道4:9)。《第三に、キリストの謙遜をもって信仰に留まります(3-5)》
肉の思いのもたらすものは、高ぶり、またその反動である妬みです。すべては主のもの、主の恵みでないものは何一つありません。働くこと、その成果を得ることも、恵みです(1コリント15:10)。自尊は大切ですが、人に誇ることはしません。主の前に出て、自分の道が正しいかどうかを点検しましょう(詩篇139:24)。聖書は、自分を正しく知るための鏡です(ヘブル4:12)。人は一度死ぬ事と死後にさばきを受けることが定まっています(ヘブル9:27)。また神は、各自の歩みを点検させるため、試練を与えます。主の御手から誰も逃れることはできないのです(詩篇139:7,ヘブル12:7)。同時に、主は共におられて私たちを支えてくださいます(マタイ11:28)。主は恵みによって、救われることから救いの完成に至るまで、すべて用意し、私たちに与えてくださいました(エペソ2:8-10)。愛を実行することは、困難が伴います。しかし、あきらめずに続けるならば、時が来て、神が刈り取らせてくださいます。