2023年3月26日・・・人となり、苦難も共に歩まれた神
それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。ピリピ2:10-11(6-11)
キリストの福音(良い知らせ)が伝えていることは、神が私たちに「最高に良いことをしてくださった」ことです。この箇所を通して、イエス・キリストについての三つのすばらしいことを共に発見し確かめましょう。
《第一に、至高の神であるのに私たち人間と同じになられました(6-7a)》
私たちは、どれだけ自分のものを捨てることができるでしょうか。乏しい人だけでなく、沢山持っている人は、逆に失なうことに恐れを覚えると言われます。本当に素晴しい方は謙遜ですが、それでも進んで自分のものや地位を投げ出すことは難しいことです。世界を創造した神のひとり子は、人となってこの世界に来られ、私たち人類と共に歩まれました。神と人との隔たりは、人と他の生物の隔たりよりも、遥かに掛け離れています。しかも人となられたキリストは、仕えられる者でなく仕える者となりました。それは私たちへの愛のゆえです。聖書は、神は世界を創造する前から私たちを愛された、と証ししています(エペソ1:4)。人間の尊さは、創造主である神に愛されている者という事実にあります。
《第二に、神はこの御子キリストを私たちに与えました(:7b-8)》
福音は告げます。1.キリストは神であるのに人の姿をとって来られました。2.キリストは私たちと共に歩まれました。3.キリストは罪のない方なのに私たちの罪のために十字架で死なれました。聖書は、キリストの十字架の死は「死にまで、それも十字架の死にまで従われ」たことだと告げています(8)。キリストは、自身の死は父の命令と権威によると証ししました(ヨハネ10:18)。十字架の死の目的は、私たちの罪の贖い(=身代りの犠牲)のためでした(マタイ20:28)。愛は、立場や性質や身分を飛び越えて、互いを結びつけます。神は、私たちを愛してご自分の御子を与えられました(ヨハネ3:16)。その愛の対象はすべての人です。キリストの福音は「宗教」(人が行ないによって神から幸いを受けること)ではなく、神が私たちの救いのためにすべてを成して与えてくださった、と告げます。
《第三に、高くされたキリストは、私たちの真の栄光となられます(9-11)》
キリストは、十字架で死なれた後、聖書や自身が予告した通りに、三日・・・目によみがえりました。復活を通して、キリストの死は、神が与えた罪の身代りの犠牲であることが証明されました。復活したキリストは、今も生きて私たちを救い、守り完成するために働いておられます。聖書は、やがてキリストが私たちを迎えに来られ再会すること、共にこの方こそ私の神と告白して、父なる神に感謝する、と。(ローマ6:23)「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」。罪と死の解決である救いは、キリストを受けることによって与えられます。キリストを受けるために必要なことはただ一つ、この方を呼び求め、この方を自分の神・救い主と信じることだけです(ローマ10:8-11)。その時、キリストという測り知れない宝をいただきます。(1テモテ2:4)「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」。