2023年4月9日・・・よみがえって自身をあなたに与えた神
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。
ヨハネ11:25-26(25-27)
罪にある死は私たちの一切を奪いますが、キリストにある死は永遠のいのちの希望に至りました。この最も大切な真理を共に確かめましょう。
《いのちである主が、信じる者は死んでも生きると約束された(ヨハネ11:25-27)》
イエス様と大変親しかった三人姉弟家族のラザロが重病にかり、主のところに使いを送りました。しかし主が到着したのは彼が葬られて四日・・・目でした。迎えに出た姉のマルタに、主は自身が「よみがえりです。いのちです」と宣言し、彼女はこの方が「神の子キリスト」だと信じていると告白しました。主はラザロが葬られている墓に行き墓の扉を開けさせ、大勢が見ている前で神が願いに答られたことを感謝すると祈りました。そして「ラザロよ。出てきなさい」と大声で呼びかけると、布に包まれ葬られていたラザロが出てきました。目撃した大勢の人がイエス様を信じました。イエス・キリストが「よみがえりである。いのちである」ことの証明は、ラザロのよみがえり以上に、この方自身が十字架で死に三日目によみがえられたことによってはっきりと示されました。
《これを果たすため十字架で死なれ罪の赦しを与えられた(イザヤ53:5-8)》
キリストが十字架で死なれた事は衆目の事実です。槍で突き刺された体、兵士による死亡の確認、布で巻き33kgの樹脂で固めた埋葬など死の証拠は明らかです。十字架の死の意味について、聖書と聖書を書かせた神、聖徒たちが、十字架の死は罪の赦しのために神が成されたみわざだと証言しています。十字架は神のご計画です。聖書全体が、罪が赦されるために身代りの犠牲が必要であることを伝えています。また明確な預言とキリストの予告が、私たちが信じて罪を赦されるための犠牲であったと証言しています(イザヤ53:10-11)。ですから、キリストを信じてキリストにある者が罪に定められることは決してありません(ローマ8:1)。
《これを果たすため三日・・・目によみがえって永遠のいのちを与えた(ヨハネ3:16)》
復活も十字架と同様に事実です。復活は、聖書の預言の成就です(詩篇16:10)。復活は自然の法則に反することです。しかし神の性質と力を考えたら、神の預言が成就せず、神がよみがえらなかった方がおかしいのです(使徒2:24)。また、復活を示す証拠が沢山あります。空の墓の状況、巻かれたままで残っていた布、遺骸を守れなかった兵士たち、生きておられるのを目撃した大勢の証言、そして、キリストは今も生きて救いの働きを成し続けておられます。救いの奇蹟、祈りの答え、預言の成就など、キリストが生きて働いておられる証拠は今も続いているのです。そして、キリストが三日・・・目によみがえられたのは、私たちが生きて永遠のいのちを持つためです(ヨハネ3:16)。「永遠のいのち」は生命力が続くこと以上のもの、永遠の神に結びつけられ、共に生きる者とされ、神の性質にあずかることです。古い肉は滅びて死を経験しなければなりませんが死後に神のもとに憩います。やがてキリストがよみがえったように、朽ちないからだをもって永遠に神と共に歩みます(1コリント15:55-58)。