2023年5月7日・・・まず神の国と神の義を求めなさい
高木正勝
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。マタイ6:33(24-33)
イエス様の評判を聞きつけて様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人など多くの群衆が集まってきた。将来への不安を感じて、あれこれと心配し、思い煩うことは今の時代の私たちも基本的には同じだろう。そのような人々に対してイエス様は「心配したりするのはやめなさい」と教えられた。イエス様の言われる「神の国と神の義を求めなさい」とは、どういうことを意味するのだろうか。
《天の父は私たちのすべての必要を知っておられる(32節)》
イエス様は天の父なる神様は私たち人間の必要をすべて知っておられる方であることについて繰り返し教えられた。イエス様が弟子たちに「主の祈り」を教えられたときにも「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられる」と言われている。そしてイエス様は空の鳥、野の花を指して、天の父がこれらを養い、美しく装ってくださっていると教え、「それらよりも優れたものとして神様がお造りになった人を、天の父がもっと良くしてくださらないことがあろうか」と教え、「信仰の薄い人たちよ」といさめる。
《だれも二人の主人に仕えることはできない(24節)》
私たちの人生はいつも順風ばかりとはいかないものだろう。先々に必要な生活の糧が確保できるだろうかと心配になるときに、あなたはまず何を頼りにするだろうか。イエス様は、だれも二人の主人に仕えることはできず、神と富とに仕えることはできないと教えられた。「二人の主人に仕えることはできない」とは、人が頼りにするものは「神様」と「それ以外のもの」の2種類しかなく、もし神様以外のものを頼りにするなら、それは「的外れ」で愚かだということを教えている。天の父は私たちが求める前から私たちに必要なものを知っておられ、最も良い時に、最も良いものを備えてくださる方であるのに、心配し思い煩うことは私たちが神様から遠く離れ、交わりを失ってしまった罪による的外れの結果だ。
《まず神の国と神の義を求めなさい(33節)》
イエス様は「まず神の国と神の義を求めなさい」と教えられた。それは私たちが罪のために神様から断絶され、生まれながら神様を知ることができない者となったためだ。だから、私たちには神と人との仲介者であるイエス様が必要だ。すべての罪人の身代わりとなって十字架で死に、よみがえられたイエス・キリストを通してのみ、私たちは天の父に祈ることが許され、すべての必要を知っておられる天の父に日・・・ごとの糧を願うことができる。その恵みは天国での永遠の祝福につながる信頼と平安を私たちに与えてくれる。イエス様を通して、すべての罪人が悔い改めを通して神の国を求める祝福の道が備えられたことを感謝し、あわれみ深い愛の神様をほめたたえよう。