2023年6月18日・・・無価値な罪人が贖われて救われる喜び
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。ローマ3:23-24
このみことばの意味するところは、①人は神の栄光をあらわす者として創造された。②しかし人は罪を犯して神の栄光を受けることができない者となった。③それでもなお神は罪人の救いの道を備えてくださった、と要約することができる。このみことばに聖書が語る福音のエッセンスが凝縮されているといえる。神様の目の前に無価値である者が、神様の計画による特別な方法を通して救われる恵みについて聖書から教えられよう。
《すべての人は罪を犯した》
人は誰でも「あなたは罪人だ」と言われても認めたくないものだろう。「自分はは法律を犯したことはないし罪人呼ばわりされる筋合いはない」と反発する。世の中で真面目に生きてきたし、どちらかというと善人の部類だと考える傾向がある。人には厳しく、自分には甘いのが私たちの傾向ではないだろうか。聖書はすべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができないと明確に告げている。《神の恵みによりキリストの贖いにより》
罪人である私たちは生まれながらに神を知ることができず、正しくあろうと努力しても悪い考えが自然と心の内から出てくる。そのような罪人はいずれ下る神のさばきの時を座して待つしかないのだろうか。幸いにしてそうではない。神は独り子イエス・キリストの十字架の犠牲を通して罪が赦される救いの道を備えてくださった。私たちがまだ罪人であったとき、自分は神なしで生きられると高ぶり自分中心の人生を歩んでいたときに、そのような私たちをあわれんでイエス様は十字架に架かって罪人である私たちの身代わりに死んでくださった。罪人の赦しはイエス・キリストの十字架の死が自分の罪の身代わりであったことを信じる信仰を通して神様からの一方的な愛によって、信じる者に与えられる。《信じるすべての人に救いが与えられる》
救われるために私たちの持つお金や財産、功績などはまったく役に立たない。罪の赦しの代価は、罪のない神の御子であるイエス・キリストがご自分のいのちをもって完全に支払い済みとしてくださった。それを信じる信仰により、誰でも救いに与ることができる。父なる神様の計画はイエス様が死んで終わりではない。イエス様は聖書で預言されていたとおりに、私たちの罪のために死なれ、葬られ、また聖書に書いてあるとおりに三日・・・目によみがえられた。イエス様は十字架の死と復活によって罪の支配をすでに滅ぼされた。信じる者には永遠のいのちが確実に与えられ、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してない。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる(ローマ10:13)。(高木正勝執事)