2023年7月16日・・・主の豊かなあわれみと恵み
しかし主の恵みはとこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、主の義はその子らの子たちに及ぶ。詩篇103:17(13-18)この詩篇が伝えている主の良くして下さったことの二つめ、主の豊かなあわれみと恵みを知りましょう。
《第一に、主は私たちをあわれまれます(13-16)》
聖書が告げるあわれみは、単に同情することではありません。「胎」を語源として、わが子への母の愛、同じ胎から生れた兄弟の間の愛のように深い愛の絆から出た共感です。父が子をあわれむように、神は、本来の祝福を失なっている私たちを回復するために、深い同情をもって力ある介入をされます。主のあわれみは、「ご自分を恐れる者」に届きます。拒んでいては十分受けられません。また創造者支配者である主は、私たちが弱くはかない事も良く知っていたわり、ありふれた私たちに限り無い愛と顧みを注いでおられます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している・・・」(イザヤ43:4)。主にとって、私たちがどんなに大切な愛する存在であるかを覚えましょう(マタイ6:28-30)。《第二に、主は私たちを豊かに恵まれます(13-16)》
恵みは、受けるに価しない者をも愛して、豊かに与えてくださる好意と祝福です。あわれみや恵みを求めるのは甘えだと躊躇されるならば、次の三つの事を覚えてください。(1)私たちは、神様の恵みがあるので日・・・々生きることができています(マタイ5:45)。(2)神様は、私たちを愛しているので豊かに与えておられます。(3)神を知らなくても自分でうまくやっているとの考えは無知と危うさです(黙示3:17)。しかし主の恵みは「主を恐れる者の上」に豊かです。主は、私たちを愛して恵みを豊かに与えておられます。しかしあわれみと同様に拒めば、わずかしか受けられません。子どもを不幸にする、わがままを助長する与え方を親がしないのと同じです。主を恐れるとは、主の戒め大切にし、忠実に関わることです。そうするなら、主は豊かに与え任せます(マタイ25:21)。