2023年8月6日・・・試練の時、主にあって喜びなさい
私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。ヤコブ1:2(1-8)
ガラテヤ人への手紙が律法主義の誤ちを正して信仰のみによる救いを確めたのに対して、ヤコブの手紙は、信仰があれば行いは好きにしてよいとする死んだ信仰を正し、主に喜ばれる生きた信仰を呼び覚ますために書き送られました。
《冒頭のあいさつ、そして試練を喜べとの勧め(1)》
この書の記者は主の兄弟ヤコブ(ガラテヤ1:19,マタイ13:55)です。彼は最初は主を信じませんでしたが復活の時には弟子となっていました(使徒1:13-13)。やがてエルサレム教会の指導者となりペテロと共に「救われるために割礼は必要ない」と宣言しました(使徒15:13-)。信仰により罪赦され義と認められたのに、みこころにかなう歩みを実行しないで罪に留まる人たちがいました。彼は、主に喜ばれる実践を目指して、生きた信仰の歩みをめざすように、人々を責め励まします。
この書には多くの実践的な勧めが記されています。1章では「試練に勝つ秘訣とみことばに従うこと」、2章では「平等を図ることと信仰と行いの一致」、3章では「舌を制することと真実の知恵」、4-5章でさらに様々な勧めを与えます。今の私たちにも当てはめて実践すべきことばかりです。
《試練を与えられることで信仰の忍耐を働かせ、成熟します(2-4)》
「あなたがたは様々な試練にあうが、いつでも最上の喜びだと受け止める」よう勧めます(2)。それは主イエス様が、神の国の教えとして最初に取り上げたテーマでした(マタイ5:10-12)。教会が、試練を主からの恵みとして積極的に受け入れられていない状況がありました。確かに、世の迫害が徐々に厳しくなってきました。しかしそれは、主や使徒たちがあらかじめ伝えたことでした。問題は、主が教えられたようには試練を受け止めない態度にありました。主から試練を受けることで、そこから生み出される忍耐を通して、完成に導かれます。聖徒が主に似た者として完成することは、何にも代えられない光栄・喜びです(1-2,ローマ5:1-5)。こうして私たちは強められ、矯正され、賜物が生かされ、あらゆる状況にあってもみこころに従って主に信頼して歩むことができます。主が私たちを成長させてくださるのです。パウロが証ししている通りです(ピリピ3:12,4:12-13)。
《欠けを覚えたら、信じて主に求めて知恵をいただきましょう(5-8)》
記者は弱さを覚える人たちの信仰を認め、知恵が不足しているなら、誰にでも惜しみなく咎めることなく与えてくださる主に求めなさい、そうすれば与えられる、と元気づけます(マタイ7:7-11,ピリピ4:6-7)。同時に記者は、祈りを聞かれなくしてしまう「主を試みる疑い」を取り除くよういさめました。主を疑い信頼しない不純な心、返答により信じるかどうかを決定しようとする高ぶった考えは罪です。その態度では信仰を損うので聞かれません。しかし自分の罪を告白し主を仰ぐならば、主は十字架の贖いの故にその罪を赦し、すべての悪から私たちを聖めてくださいます。主は、試練を通して、私たちを責められるところのない者として御前に堅く立たせてくださいます。