2023年8月13日・・・誘惑を退け試練に勝利する
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。ヤコブ1:12(9-18)
前回の、試練を受ける時喜びなさいとの教えに続く箇所です。試練が喜ばしいのは、それを耐え抜く時「いのちの冠」を受けることにある、と教えています。
《主にあって高くされ、低く仕える者とされたことを誇りとしなさい(9-11)》
キリストを信じて救われたことは、神の国の相続者とされた事を意味しています。「身分の低い兄弟は、自分が高められることを誇りとし」「富んでいる人は、自分が低くされることを誇りとし」なさいと記者は教えます。自分が主の前に尊い存在であることを確信して喜び、同時に、至高の神であるキリストが低くなって仕えて栄光を現わされた道に従うことを誇りとするのです。人は草の花のようにはかないものです(4:14)。しかしキリストは十字架と復活により、罪と死に勝利する道を自ら切り開いてくださいました。そして地上の試練を、耐え抜かせて成長させ完成させてくださいます(1コリント15:53)。
《試練に耐える人は幸い、誘惑に陥る人は災いです(12-15)》
試練に耐える人の幸いは、いのちの冠を頂くことです(12)。それは、神が愛する者たちに約束された永遠のいのちを完成して、神から栄誉を受けることです。主はそれを私たちに約束してくださいました。パウロは、主がそれを得るように私を捕えてくださったから、目標を目指して一心に走っている。これが大人の聖徒の規準だと証ししました(ピリピ3:12-15)。試練と誘惑は表裏一体です。困難を経験する試練は成長するために必要です。しかし悪魔は困難を利用して、悪に引き込もうと働きます。主は悪に誘惑しません。聖霊の導きに従い善に引き寄せていただきましょう(13-15)。主は試練を与えて、人の心の罪を明らかにして救いを求めさせ、救ってくださいます。からだの健康のために気をつけるなら、霊の健康にはなおのこと心を注ぎましょう。
《いのちをもたらす神の完全な賜物を求めなさい(16-18)》
良いもの、いつまでも残る完全なものは、世からでなく父なる神から来ます。しかし読者は、移り行く世のものを頼り、神に求めることを二の次にしていました。それはクリスチャンにも起こり易い「思い違い」です。聖書は、世の知恵を無視しろと言っているのではありません。しかし全てを支配しておられる全知全能、真実な神を知ることを第一に、土台であり規準にせよ、と教えています(箴言1:7他多数)。この父である神が、「みこころ」(=ご自身のご計画)のままに「真理のことば」(=キリストの福音)によって、私たちを「被造物の(回復の)初穂」として生んでくださいました。(2コリント5:17)「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。ですから聖書は、滅びゆく世の楽しみではなく、霊が喜ぶ主にある楽しみを求めよと勧めています(エペソ5:16-20)。試練に耐え、悪い誘惑を退けて、信仰を守り抜き、いのちの冠を獲得しましょう。