2023年8月20日・・・試練と神のご計画
それで、アブラハムは若い者たちに、「おまえたちは、ろばと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻って来る」と言った。創世記22:5(1-14)忍耐の末に与えられた約束の息子の成長を喜んでいたアブラハムに主は試練を与えました。ここから、試練の中に証しされた神のご計画を確かめましょう。
《私たちの人生には試練がある(1-2)》
アブラハムに約束の息子イサクが与えられたのは100歳の時でした。すでに人間の常識を超えた年齢でした。そのようやく与えられた息子イサクを通して神様はアブラハムに、最後の試練を与えられました。(22:1-2)「神が『アブラハムよ』と呼びかけられると、彼は『はいここにおります』と答えた。神は仰せられた、『あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい』。
ベエル・シェバから、モリヤ山までの3日・・・ほどの旅が始まります。たきぎを背負ったイサクが少年の年齢とすると、アブラハムはすでに115歳の頃と思われます。神様はこの年老いてようやく与えられた一人息子イサクを通して、アブラハムに何を求められたのでしょうか。
《アブラハムの行動は神への信頼の証し(3-9)》
この試練はアブラハムの罪や失敗から出たものではありませんでした。避ける事が出来ない課題を通して、神との信頼関係を完全なものとされる計画をアブラハムはどのように受け止め、どのように答えたのでしょうか。アブラハムの行動は「翌朝早く」でした。サラには知らせないで旅に出たのかもしれません。3日・・・の道中でのアブラハムの心の動きについては、聖書は沈黙しています。神の召しに従うとき、自分の人生の計画や希望を諦める事が求められます。アブラハムの従順は迅速かつ完全でした。アブラハムは3日目にその地を遠くに見て若い者に告げます。「おまえたちは、ロバと一緒に、ここに残っていなさい。私と息子はあそこに行き、礼拝をして、おまえたちのところに戻ってくる」。礼拝のための全焼の捧げものはひとり息子のイサクそのものでした。
《アブラハムの服従への神の答え(10-13)》
イサクを縛り上げ屠ろうとしたその時「その子に何もしてはならない。今わたしはあなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった」12節。神は信仰の純度を高めるために火をもってきよめられます。この試練を通してアブラハムは神の友と呼ばれました。数多くの試練にあったパウロはこう勧めます。(ローマ5:3)「それだけでなく、苦難さえも喜んでいます」。
試練は神様の私たちへの信頼と期待の表れと受け止め,常に神の愛が私たちに注がれていることを実感で出来る信仰生活をおくりましょう。
(詩篇103:4-5)「主はあなたに恵みと哀れみの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満ちたらせる」。主の約束を感謝して受け取る者とされましょう。