2023年8月27日・・・みことばはたましいを救う
ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。ヤコブ1:21(19-21)
「私の愛する兄弟たち」と主の兄弟ヤコブは、教会の人々に書き送ります。私たちが、神と人との関わりの中で、祝福の内に守られる訓戒を受けましょう。
《聞くのに早く、語るのに遅くあれ(:19b)》
通じ合うことは難しいのに、聞こうとしないならばなおのこと誤ちを生じます。神との関係でも「聞くことは大変重要」です。神は「聞け、イスラエルよ」と告げ、イエス様も「聞く耳のある者は聞きなさい」と呼びかけました(マタイ4:9他)。パウロは「信仰は聞くことから始まります・・・」と書き送りました(ローマ10:18)。語るのに遅くありなさい。慎重であるようにとの戒めです。良く考えないで語ると、誤解を与え、傷付けたり怒らせることになってしまいます。誤ったことばを神の前に出してしまったら、自分が主の前に出るのを妨げるばかりか、それを聞いた他の人もつまずかせる危険があります(詩篇73:15)。いつでも傾聴できる心備えと、語る時には正しいことを正ししく伝られるよう求めましょう。
《怒るのに遅くあれ、人の怒りは神の義を実現しない(:20)》
怒りそのものが悪ではありません。神も主イエス様も怒られました。しかし怒りの感情に支配されてはなりません。神に訴えて神に審いていただきます。また相手が誤ちに気付けるために、最善の方法へと神に導いていただき、怒りの原因を解決するのです。人の怒りは神の義を実現しません。大切なのは神に喜ばれ、神に誉められることです。怒りに身を任せると、神のことが考えられなくなってしまいます。良く怒っている人は、絶えず神の義を妨げる危険があるので、主の柔和を求めましょう。あまり怒らない人は、怒りを貯めて大爆発し、コントロール不能になる危険があります。怒る事があったらまず主に訴え、主に正しく導いていただきましょう。《みことばを素直に受け入れることをめざそう(:21)》
まず、神との関係を妨げるものを捨て離れます。良いものでも、神より優先してしまうならば妨げとなります。たとえ主のためのものでも、神ご自身を求めるために為すものでなければ悪となってしまいます。聖書を誤って用いる危険、奉仕を特権としたりうまくやる事を神にささげることより優先する、献金が義務感、優劣、習慣化からのものになってしまったり、賛美・祈り・学び・交わりにおいてもです。神が、みことばを心に植えつけてくださり、みことばが実を結ぶように、素直な心で受け入れましょう。素直な心とは、みことばを聞いて悟る人のことです。「聞く」ことについては「聞くには早く」のところで見てきました。「悟る」には神を信頼して求め、神に悟らせていただくのです(詩篇119:18,169)。自分は「良い地」(=すなおな心)ではない、と思われる方も安心してください。そう言われること自体がすなおな心のしるしです。後は、求め続けましょう。みことばを受け続け、教会に来続け、祈り続けるならば、植えられたみことばが、巌のような固い心をも砕いて根付き、耕して良い地に変え、実を結ばせます。